日本は多くの国に愛されています。その内の一国にトルコがあげることができます。
 


 明治23年、初のトルコの使節が日本を訪れましが、帰路に暴風雨にあい、エルトゥールル号は和歌山県沖で沈没。500名以上もの犠牲者がでました。



生き残った69名は必死で大島海岸にたどり着き、助けを求めました。大島は人口3000人の小さな島です。報告を受けた大島村長(現在の和歌山県串本町)、沖周(おき しゅう)は直ちに村民を指揮し、救護活動に尽力します。生存者たちはほぼ重軽傷を負っていたので、医者がすぐさま治療しました。村人たちは衣服、そして温かい食べ物を提供しました。
 


 大島村では、この事故だけのみならず、これまで誰でもどの国の人でも救助をしてきました。決して豊かではない暮らし中で、村人たちは最大限の献身を惜しみませんでした。村をあげての救護活動に、救助された人々は感涙しました。
 


 また沖周は救助のみならず、遺体の捜索にも全力を尽くしました。280体余りの遺体を回収し、慰霊行事も執り行いました。この大島村の人々の行為はトルコ全国民に知れ渡り、ついには教科書にも掲載されました。以来トルコは熱烈な親日国です。
 


 自己犠牲の精神を持ち、他者のために尽力する。大島村の人々の行動が、いまの日本とトルコとの友好関係の基礎となっています。子供達に語り継ぎたい、誇るべき歴史ですね。



(写真の出典:Wikipedia)