広田弘毅は、日本の外務省に努め、その後内閣総理大臣となった人物です。


そして、東京裁判で唯一文官として死刑にされました。


外交官として活躍していた広田は、岡田内閣後の次期首相として選ばれます。広田内閣の使命は粛軍。この時期、軍の暴走は激化し、政治にも深く介入してきました。


広田は迅速に、2・26事件の首謀者を処刑、また3000人もの人事異動を行うなど、力強く使命を果たしていきます。


戦後、GHQは、日本が軍官・文官一体で世界征服の「共同謀議」したという事実無根の話を作り、文官の役者として、広田を「A級戦犯」に仕立てあげます。そして、裁判官の多数決6対5で死刑判決が決定。この判決に世論どころか、米国の主席検事ですら、どんなに重くても終身刑までだろうと大批判をしました。


東京裁判の間、広田は決して証言台で自己弁護を図りませんでした。外交官として戦争を止められなかった責任を痛感していたためです。しかし、その責任の所在は広田にあるものではなく、ましてや死刑判決を受けるなどあり得ないのです。


「A級戦犯」は昭和31年にサンフランシスコ講和条約の手続きに基づき、国際的にも国内的にも赦免されています。つまり、日本には「A級戦犯」はいないと認められているのです。この事実を更に多くの国民の皆さんに理解していただきたいです。




(写真の出典:Wikipedia)