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文科委質疑終了!徹底議論!
特に教育長の罷免規定が、政府案には無いことについて、徹底的に大臣と議論をしました。
大臣からの答弁は、なかなか納得し難いものでした…「理屈は田沼委員の言う通り(首長が罷免できるべき)」と大臣は言いつつも、理由ははっきりせず、修正する意向もないようです…
対して中田代議士の、野党案答弁は、現場を踏まえた、非常に説得力あるものでした。
詳しくは後日の動画・速記録をご覧下さい。
結局用意した質問の半分しかできませんでした。引き続き、徹底的に、議論して参ります。戦後教育の大改革ですから…!




↓動画はこちらから


また、下に速記録を掲載しましたのでご参考下さい。
※ ソフト変換の関係で誤字や文章の乱れがございます。
※ 尚、速記録は正規の会議録ではないため引用などはご遠慮ください。
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○田沼委員
日本維新の会の田沼隆志でございます。大臣、また、どうぞきょうもよろしくお願いします。

私、先週の四月十五日に代表質問でいろいろ質疑をさせていただきましたけれども、政府案それから野党案、両案についていろいろな論点が積み残っていると思いますので、私、一番初めに質問したときに信頼する大臣と申し上げましたけれども、その思い、尊敬の念を持ちつつも、ぜひいい議論をしていきたいというふうに思います。

やはり私が先週のときの議論でも非常にこだわったのが、教育長の解職についてであります。まず政府案ですけれども、現行の地教行法と同じく、特別の変更というのは、解職に関して、罷免に関しては変更はございません。条文で言うと七条かと思うんですけれども、心身の故障のため職務遂行にたえない場合ですとか職務上の義務違反ですとか、あるいは委員たるに適しない非行があると認められる場合というときに、議会の同意を得て罷免することができるという規定になっておりますけれども、これはこのままなわけですね。

となると、今回の政府案では非常に教育長の役割が大きくなるわけでありますけれども、教育委員長ともとの教育長が統合してということでございますけれども、この新教育長が実績を上げられない場合ということもあろうと思います。評価という仕組みがきちんとなされてあるわけでもありませんので、実績が上げられなかった場合に、評価なり、本来的には罷免も最終的にはあると思うんですが、そういう規定が見当たりませんし、実績が上げられなかった場合の対応というのがわかりません。

これに関して大臣の御見解をお尋ねします。


○下村国務大臣
地方公共団体に置かれているさまざまな行政委員会の委員の罷免要件については、首長から独立した委員会を設置した趣旨に鑑み、身分保障という観点から、要件がこれは限定されております。このため、教育委員会の構成員となった新教育長の罷免要件についても、現行の教育委員や他の行政委員会と同様、心身の故障の場合や職務上の義務違反、その他教育長たるにふさわしくない非行がある場合に限定しているということであります。

なお、今回の改正によりまして教育長は、首長が議会同意を得て直接任命するというふうに変えたということから、首長においてはその任命責任を果たす必要があるとともに、議会においても、教育長の資質、能力をより丁寧にチェックすることが期待されるところであります。


○田沼委員
大臣はよく御存じの方なので。直接任命できるようになったとはいえ、今までも実態的には、教育委員さんの中でこの人こそが教育長だというのはもう当て込んで選任をされていたわけで、それは、直接首長が任命するという意味では前進かもしれませんけれども、実態としては余り変わりはないと思います。

あと、独立した行政委員会の趣旨に鑑みて身分保障をしている、そのことは後でお聞きしたいんですけれども、やはりちょっとそれだとわからないのは、大綱への尊重義務が今回の与党案だとあります。これも、尊重をするものだとあるんですけれども、尊重をしなかった場合はまずどうなるのか。

そもそも、尊重をしなかったと誰が判断をして、それは首長なんだと思うんですけれども、尊重をしなかった場合にはやはり、罷免あるいは解職、最低限でも処分、何らかの尊重をしなかった場合への対応というのが同時にセットされないと、尊重をするものとするとあっても実態的に変わらない可能性が非常に高いと感じるんですが、大臣、御見解をお尋ねします。



○下村国務大臣
今回の改正案は、総合教育会議を設けたということも一つのポイントなわけです。その中で、首長もそれから教育委員会も執行委員会として、そして教育委員会は、今までの執行委員会と同じ形を存続するということであります。

その教育委員会における第一義責任者は教育長であるという位置づけでありまして、つまり、今までの教育委員会の執行機関としての機能は変わらないわけであります。その中で、総合教育会議を開いて、それは首長の主宰によって総合教育会議を開くわけでありますが、そこで協議をして、調整が整った部分についてはこれは行う。

しかし、調整が整わなかった場合の尊重義務ということでの御質問でありますが、これは執行機関が二つに分かれているわけですから、これは、教育委員会の代表たる教育長がその執行委員会の責任者として判断するということであります。

しかし、総合教育会議を設けたというのは、当然、首長と今後のそこの自治体における教育行政については一体となってやっていくということが前提の中での教育総合会議ですから尊重するということでありますが、権限としては、法律上は、これは執行機関である教育長がその分野における第一義的責任はあるということですが、それはやはり、全く無視するということにはもちろんならないというふうに思います。


○田沼委員
御丁寧に御答弁いただきましたけれども、やはりちょっとわからないんです。

最後に、全く無視することにはならないと思いますという御答弁にお聞きしましたけれども、思いますじゃやはりいけないと思うんです。それはやはり、尊重されなかったときの何らかの対処策、対応規定というのがきちんとないと、それは性善説に聞こえるんです。

大臣の御答弁の中で一番の核心は、恐らく、総理も言われていましたが、首長と教育行政が、教育委員会ですね、連帯して責任を果たす、執行機関が二つあるのがそれぞれが一体として立っていることが前提だと。これも、願望としてはそうです。一体でありたい、あってほしい。

けれども、そうじゃないことも十分考えられるわけで、今回の地教行法の改正も、大津の事件なども一つのきっかけですけれども、あのときはやはり越市長はちゃんと対応したかったけれども、教育委員会がちゃんと対応してくれなかったという問題意識があったから、今回、地教行法の改正に一つなっていると思うんです。

つまり、一体が必ずしも前提になるとは私は思えないんです。だから、一体が前提ですという御答弁をいただいても、いや、だから一体が前提じゃないでしょうというのが私の問いかけであって、そこの部分がどうしてもちょっとわからないんです。

首長が暴走をすることも、残念ながら、もちろんないことも多いと思いますけれども、祈りますけれども、可能性はやはりあるわけで、そのときに、首長と教育長、どっちが上なんだ、総合教育会議できちんと協議、調整して連帯して責任を果たすというのはいいんですけれども、最終的にどうなんだというのがやはりないと、それはやはり人事権に帰結すると私は思います。

ですので、その規定がないというのは、ちょっと性善説に過ぎるのではないかというふうにどうしても思えるわけですけれども、大臣、御見解。


○下村国務大臣
これは規定はあるんです。先ほどの思いますというのは、私の個人的な思いを申し上げたわけじゃなくて、尊重するというのはそういう意味だということで申し上げたわけです。

それから、今御指摘のような、いじめ等における緊急事態における総合教育会議等において、これは、市長と教育長が意見を異にするということは基本的にはあり得ない事項だと思います。

ただ、その尊重という中では、特に政治的な中立性、そういう分野においては、これは、市長の暴走かもしれないということについて教育長が適切な判断をするという意味で、執行機関としては、それはそれぞれ二つに役割分担が明確化されているわけですから、教育委員会における執行機関としての権限については、最終的には教育長が判断するということは、これは、その尊重するという意味では、やはり政治的な中立性とかそういう視点におけるところであって、基本的に、いじめ問題とかそういう問題については、これは当然、首長や教育長が一緒になって対処するということが前提の話だと思います。


○田沼委員
いや、政治的中立性の議論は今はしていないつもりでして、というのは、政治的中立性を鑑みて大綱を策定して、その大綱を策定した後は教育行政は教育長がなさるということですから、政治的中立性を担保するために解職規定はない、罷免規定は今までどおりというのは、やはりちょっとおかしいと思うんです。

今回の与党案で、大綱はもう政治的中立を担保されているものなわけですから、それを守れなかったら、やはりこれは、むしろ政治的中立性云々よりも、言葉がちょっと適切かわかりませんけれども、職務上の義務をきちんと果たしていないとか、そういう意味合いのものになると思います。

ですので、やはり罷免に関して、今ありますよ、第七条でありますけれども、それは今までと同じであって、今まではほとんど罷免というのはないわけじゃないですか、実態を大臣御存じのとおり。ですので、どうしても十分ではないと思うんです。もう一度御見解をいただければ。


○下村国務大臣
いや、それは論理構成の問題で、今委員がおっしゃったのは大津のいじめの問題をおっしゃったので、これについては、緊急として教育総合会議を開いて、そして首長、教育長が協議をした結果、判断するという意味で、相違性が出てくるような案件ではないのではないか。

ただ、大綱については、それはまた別の問題としてありますけれども、今の御質問については、大津のいじめのような緊急事態についての事例という質問だというふうに受けとめましたので、そういうところについて尊重義務云々ということで問題が出てくるということは基本的にはあり得ないのではないかということで申し上げたわけです。


○田沼委員
私は例えばいじめだったので、別にそれ以外でも、それこそ教員人事でも教科書採択でも何でも結構なんですが、とにかく規定がないということの構造的な問題点をどうしても看過できないわけで御指摘したんですけれども、ちょっと角度を変えて、野党案の方の議論も触れたいんです。

野党案ですと、同じく第七条だったですか、野党案の場合は、自由に解職可能ということで非常にシンプルな仕組みになっておりますけれども、これは、首長としては教育長に対する権限というか影響力が非常に高い構造に見えますけれども、もちろん乱発もしてはいけないわけでもありまして、物すごく自由であるからこそちょっとお尋ねしたいんですが、具体的に、どんな場合にこの解職ということが起きるかということに関して何か想定しているものがあれば、お答えいただければ、これは法案提出者にお聞きしたいと思います。


○中田議員
答弁申し上げます。この法律案において、我々の案に関しましては、教育長は首長の補助機関というふうにいたしているわけでありまして、その意味で、首長の指揮監督のもとで教育に関する事務をつかさどるということで、首長がこれを任命するというふうになります。

その中で、今御質問にありましたように、首長は任期中であっても教育長を解職できるというふうにしているわけでありますけれども、その想定というのは、先ほどから出ていますように、例えば大綱といいますか方針、我が法案では方針、これに反するようなこうしたことを教育長が行っているというケースなどはある意味では一番わかりやすいかもしれませんが、それ以上に、例えば成果を出せない教育長がいる場合とか、さらには、教育長が恣意的な事務をやっているというような悪質なケースもこれはあり得るかもしれません。

こういう場合も想定されます。

それから、先ほどからいじめの話も出ていますけれども、例えばサボタージュといいますか、いわば教育長の動きが鈍い、こういう場合もこれはあり得ると思うんです。

ただ、田沼議員が今質問の中でもおっしゃったように、乱発できるわけではありません。しかし、考え方としましては、我々は、この教育行政も他の地方行政と同じ、そういう考え方をしているわけです。

しかし、教育であることの重要性を考えたときに、さまざまチェック機能であるとか、それから議会に対する説明責任であるとか、こういったものを他の行政分野以上に設けていることはありますけれども、基本的には、他の行政分野と同じに考えているわけです。

ということは、他の行政分野における例えば部長あるいは課長、これが全然成果を出せないとかあるいはサボタージュしているとか、こういう場合は首長はどうするかといえば、当然これは、手続を当然経なければいけませんけれども、解職を求めていくということになるわけでありまして、これを教育においても同じように考えるということになっているということであります。


○田沼委員
やはり画期的に感じるのは、ちょっと自画自賛に聞こえるかもしれませんが、成果が出せないときに解職を検討するというのは、これは政府案ではない規定だと思います。

ほかの、教育部局以外の局でも、例えば私も千葉市議会議員でしたけれども、保健福祉局とか財政局とかいろいろ局があるんですけれども、それぞれの局、部で想定どおりの成果を出してもらえない場合には、最後の大なたとしての解職規定というのは、絶対的に組織として重要なものだとどうしても思うものですからこの解職規定にどうしてもこだわってしまうんですけれども、了解いたしました。

それでちょっと関連なんですが、大臣は常々、教育振興基本計画、今回は大綱でも重なるのかもしれませんが、教育振興基本計画に数値目標を入れるべきだというふうに、昨年来のあの質疑でも言われておられたと思います。

私も賛成でございますけれども、それこそ、この数値目標を入れて、それがきちんと達成できなかった、できたがわかるわけですけれども、できないのが余りに多いということは、まさに成果が上がっていない、実績が出ていないケースになると思うんです。

ですので、そういったときにはやはり解職を検討するのが、本来の首長としての、上司としての役割だとどうしても思うんです。つまり、数値目標を導入するなら、それがうまくいかなかったときの規定も同時に必要になる、目標管理システム、評価システムとして機能させるということが一体的に必要になると思うんですけれども、今の政府案にはそれが見当たらないと思います。大臣、それに関して御見解があれば、お尋ねします。


○下村国務大臣
田沼委員のおっしゃっている理屈はそのとおりだとは思うんです。つまり、首長が期待に応えられないような教育長をいつまでも在任させていいのか、それが地域住民にとってプラスなのかという視点においては、それは問題だというふうに思います。

そういう意味では、これは、同時にやはり首長の任命責任そのものがそもそも問われることではあるというふうに思うんです。そして、私は、教育振興基本計画も含めて数値目標を明確にすることは、これは、第三者から見てどの程度達成しているのか、していないのか判断する上においても重要なことだと思いますが、ただ、そのときに、教育長一人に責任を持たせることでいいのかどうかということは、同時にやはり問われることだというふうには思います。

その辺で、首長と教育長が、任命するに当たってどういうふうな職務命令を教育長に対して通達しているかどうかということも問われると思いますし、同時に、首長が任命されたことについての議会の同意についても、議会サイドにおいても、教育長に対してどういう課題、テーマを設定し、それをクリアさせるかどうかということについて、議会の存在も重要だと思いますが、これはしかし教育長だけの数値目標についての責任論というよりは、これは、その自治体全体における、例えばほかの部課長を含めた同様のことも同時に考えなければならないのではないかというふうには思います。

それで、なかなか教育長に対する罷免要求がハードルが高いというのは、先ほど申し上げたような、やはり、行政委員会として教育委員会を位置づけられるという課題はあるわけでございます。

今回の改正案において、教育長は他の教育委員と比較して強い権限を持つことになるということはまさにそのとおりであるわけでありますが、現行と同様に、合議体の意思決定に基づき事務を執行する立場であるということは変わりないわけでありまして、合議体の意思決定に反する事務執行を行うことはできないということであります。

また、総合教育会議は、首長と教育委員会が相互の連携を図りつつ、より一層民意を反映した教育行政を推進していくため、首長と教育委員会の協議及び調整の場として設置するものでありますから、行政委員会としての教育委員会の位置づけを変更するものではありません。したがって、教育長の罷免事由については、他の行政委員会と異なる取り扱いをするということについては、これは、制度上相当の課題があるということであります。


○田沼委員
いや、真っ向から反対になっちゃうかもしれないんですけれども、大臣がまさに言われるとおり、今回の教育委員会の新しい姿は、ほかの行政委員会と同様とはちょっと思えません。

私は市議会議員出身でございますので、例えば、選挙管理委員会、農業委員会、監査委員会、人事委員会ともおつき合いしてきましたけれども、圧倒的にばかでかい、教育委員会は。千葉市なんかはもう半分ぐらい教職員の方がやられて、そのトップは、当時は教育委員長でございまして、ほかの委員会と同様というのはそもそもまず難しいと感じておりました。

今回、御説明のあったように、合議制の独立行政委員会ですから、合議制であって、だからこそ身分保障をしているというのも、建前はそうですけれども、実態としては教育委員長を兼任なわけですよ。

となると、やはりトップとして教育長がさらに合議制の教育委員会のトップでもあり、事務方の教育部局のトップでもあり、大幅な権限強化であって、これはほかの行政委員会にはないことです。だからこそ画期的なのかもしれませんが、強大な権限をやはり持つわけですから、それに対する歯どめとしては、そんなに身分保障をしていていいのかとどうしても思うわけです。

もう一点、総合教育会議で連帯責任と言われましたけれども、これは逆に責任が曖昧に見えるんです。首長さんと教育委員会で、両方とも執行機関という言葉自体がまずちょっと疑問ですけれども、完全なほかの行政委員会とは違って、一部独立性が緩和されているわけです。そうすると、全く違う行政委員会になったと私は捉えております。

ですので、御答弁の、ほかの行政委員会と同様に扱わなくちゃいけないんだ、独立した行政委員会の趣旨に鑑みて身分保障を、罷免しにくくしているということですけれども、これは合理的な理由があるとはちょっと私には思えないわけでありまして、前提がちょっと違うと感じます。それについて何か御答弁あれば。


○下村国務大臣
法律的な合理的理由というのが、つまり教育委員会が行政委員会であるから、だからそういうふうな教育長に対する罷免はできないというのが、それは法律上のたてつけであります。

ただ、田沼委員がおっしゃったようなことは、つまり、ほかの行政委員会と位置づけが同じ行政委員会といっても相当違うじゃないかということから、与党議論の中でもこの罷免についてはいろいろな議論があった中で、入れないということが結果的に決まったということを承知しております。

つまり、それだけこのことについてはやはりいろいろな議論があるということは、そのとおりだというふうに私も認識しております。


○田沼委員
ぜひその与党議論をまた復活させてほしいんですけれども、私たちもそういった協議もぜひ応じたいと思うんです。やはりこの肝だと思うんです、どうしても。

なので、解職規定のあり方というのは、ぜひ議論の上で改めていただけるとうれしいなと思います。関連して、義家委員が十六日だったですか、質問されていて、同じようなことでの御懸念を質問されていました。私も、法案に思いが強いものですから全部議事録を読みました。特定思想を持った首長が出ると歪曲されてしまうんじゃないかということを義家委員が言われておりましたけれども、そういった懸念は確かに強いと思います、野党案に対して。

野党案に対して、首長の権限が非常に強過ぎる、それで自由に解職もできてしまうということだと、特定の思想を持った首長さんが出てきて、俺の言うことを聞かないと首だぞ、そういう形になってしまうと歪曲されるんじゃないかという御懸念です。

それに対して、確かにそういう御懸念を持たれる方も多いと思いますので、野党案提出者に対して、どう応えるか、お聞きしたいと思います。

○中田議員
まず前提ですけれども、首という言葉が今ありましたけれども、罷免するということは、これは簡単にできることではそもそもありません。先ほども御説明申し上げたように、教育委員会以外の他の部局においても、首長、市長や知事が、俺の言うことを聞かぬからやめさせるなどというのは、聞いたことがないです。

そんなことをやったら、これは当然ですけれども、裁判沙汰になるでありましょうし、これに首長の側の勝ち目はないというふうに言えます。そういう意味では、我々は、先ほど来田沼議員が大臣に対する質問の中でおっしゃっているように、責任をしっかりと果たしてもらう、そのために最後の最後はということでこれは可能にしているということでありまして、もともと乱発できる話ではない。他のところでも聞いたことがないというふうに言えるわけであります。

その上で、首長が権限を行使し、そして独善的なやり方で教育現場を混乱させるということがないようにするために、私どもの法律案においては、首長の職務の執行を監視する新たな機関として教育監査委員会を設置をするというふうにして、しっかりとチェックをしようじゃないかというふうにして、事前のそうした独善性というものもないようにまずしているわけであります。

さらに、首長が、教育の振興に関する総合的な施策の方針、これを議会に対して提出するということになっておりますけれども、その際には、必要に応じて、専門家等のさまざまな人の意見を聞いてこれを策定をしていくこと、また、原則的には毎年度議会の議決を経て策定をするということ、さらに、原則的には毎年度進捗状況を議会に報告することという、こうした運用がなされることを通じて、首長に対するチェックというものが重層的に行われるように私どもの案ではなっております。さらに一言つけ加えますと、最後は選挙があるんですね。

そんな独善的なそうした教育行政をやった首長というのが選挙にたえ得るかということも、ここにいらっしゃる議員の皆さんには考えていただきたいというふうに思うわけです。

よく議論になる中立性、あるいは継続性、こういったものは誰が望んでいるのかといったら、これは国民です、市民です。その国民や市民が選挙して選ぶのは誰なのかということが、最後の最後は民主主義の中において私たちは意識をすべきことだというふうに思います。


○田沼委員
非常に説得力を感じましたけれども、特に、最後に選挙があるというのは、今の政府案の最大のポイントは、教育長が民意を受けていないという、あるということかもしれませんけれども、非常に首長の関与が弱過ぎるということに私たちはあると思いますので、そういった、逆に言えば、最後で選挙があるんだ、だから独善性は排除できるんだという言葉と理解いたしました。

まだまだお聞きしたいんですけれども、ちょっと時間もあれなので、次のテーマに移りたいと思います。与党案に関してちょっと現実的な疑問があるのが、任期に関して、新しい首長が就任されたときに、その前のときから新教育長が始まったら、三年たっているわけです。

また次の教育長が、同じ教育長かもしれませんが、再就任して、そのときに首長が今度変わったとします。そうするとあと二年あるわけです、前の首長さんが任命した教育長さんが。これは、四年間の任期しかないかもしれない首長さんのうち半分の二年間が前の教育長が残っている、自分が任命した教育長じゃない人が強大な権限を持っているということは、これで本当に首長権限が強化できるんでしょうか。

ちょっと素朴な疑問なんですけれども、お答えいただければと思います。


○下村国務大臣
教育委員については、現行制度におきましても、教育行政の安定性、継続性を確保するという趣旨から、任期を四年とし、委員の交代の時期が重ならない仕組みとなっており、この仕組みは今回の改正案においても維持することとしております。

その上で、改正案においては、首長が現行の教育長と教育委員長を一本化した新教育長を直接任命、罷免することとし、首長の任期中、少なくとも一回はみずからが任命できるよう、新教育長の任期を三年とする、また、首長が招集する総合教育会議を設置する、さらに、首長による大綱の策定を義務化するとしたところでありまして、これにより、首長が教育行政に連帯して責任を果たせる体制が構築できると考えております。


○田沼委員
次、三木先生ですけれども、ちょっと時間をいただいているのでもう少しやりたいと思うんです。重ならない仕組みということなんですけれども、そうやって継続性、安定性を保つとずっと言われてきたわけです。その継続性、安定性を言うからこそ首長が関与できなかったんじゃないでしょうか。

これまで、首長の影響をやはり余り受け過ぎてはいけないということで、激変緩和ということで、教育委員さんもそうです、少しずつ変わっていく、今回の教育長に関しても、大臣御答弁のとおり、少なくとも一回は自分で任命できるということですけれども、でも、少なくとも一回が四年間のうちの二年後に来るんだった、それは余りに首長にとってやりにくい。

短い、時期として二年間しか自分の任命した教育長がいないわけですから、それはちょっと余りに首長を制限しているんじゃないかと。だから、三年という年数がやはりどうしてもわからない。

二年とか四年ならまだわかるんですが、三年という中途半端さで、二年間が自分の任命していないという教育長が残る可能性が極めて高いわけです。これはどうしても首長としては絶対やりにくいと思うんですけれども、中田議員、では御答弁いただければと思います。


○中田議員
この中に市長や知事を経験された方がいらっしゃるのかどうか私はわかりませんけれども、本当にやりにくさを感じます。現行の教育委員会制度においては、戦後の今の制度で一年置きに新しい教育委員を任命するという状態になっていて、しかも教育委員は五人か、政令市などの場合は六人います。

ということは、一期やっても教育委員は自分で全部を指名できないというやりにくさなどは、これはもうやった人しかわからない議論だと思います。そういう意味では、今の田沼議員の御質問を聞いていても、まさにこの教育委員会制度というも

のを残し、さらに任期を今度は教育長は三年にしたというような政府案のこの件に関しては、全くもって机上の話であって、現実に即していないというふうに言わざるを得ません。田沼議員の御質問にもあったように、例えば二年残っている教育長がいて、新しい首長が着任をした場合に、それは、私は任期の途中までは教育に関しては公約は実行できません、任期の途中からしか公約は果たせないのでもう一期やらせてください、こういうふうに言わざるを得なくなってくるわけです。

さらに、教育委員は任期が四年なわけですから、何だったら、最初に出る選挙の演説から私には二期やらせてくださいと言わない限りは、教育に関しては責任を持てないという首長を出してしまう。こういう現実を全く知らない形の任期の設定というのは、私たちは極めて不合理だと考えますし、私どもの案ではそういうふうにはなっていないのは御承知のとおりであります。


○田沼委員
非常に現実的な説得力がありましたけれども、おっしゃるとおりと思います。やはり、継続性、安定性というのは美名に聞こえるんです。

それに余りにこだわったら、もうそれこそ現行制度のままの方がいいと思います。ですので、やはり途中でしかかえられないという状態を、本当にこのままでいいのかということに対してどうしても疑問がございます。ちょっと時間もあれなので、最後に大臣、この件に関して、継続性、安定性にこだわり過ぎると首長の権限強化、影響力強化というのは原理的には不可能なわけです。

なので、そこに関しての今回の政府案は少し改めるべきではないかと思うんですけれども、御見解いただければと思います。


○下村国務大臣
今の中田議員の答弁を聞いていて、説得力がありそうですけれども、本当にそうなのかということについては、やはり私は考えるべきだと思うんです。

つまり、地方の首長というのは、これはある意味では大統領制ですから、相当権限を行使できるわけであります。そのときに、本当に全ての、これは教育長だけではありませんが、例えば政権交代と同じように、行政部の幹部を全部かえようと思ったらかえられるかもしれませんが、そこまでしている首長が本当にいるんでしょうか。

やはり、地方における行政の継続性という意味では、首長がかわっても、それをいろいろな部分で執行することはできるぐらいの大統領的な権限は既に首長は持っているわけでありまして、それに対してどうしても従わないということであれば、みずから辞表を出すということはあり得る話でしょうけれども、しかし、罷免をさせてまで何が何でもというような地方自治体が実際に本当にあるのかどうかということを考えたときに、これは、絶大な、大統領制に近いような形での権限を持った首長が、選挙公約等、十分それは一期四年の中でもやり遂げるだけの制度設計というのはあり得るわけでありまして、ただ、一方で今のようなプラスマイナスの部分がある中で、特に教育においては、これはやはり継続性というのは、継続性というのは政策の継続性ではありません、この場合は人事の継続性ですけれども、中身についてはそれは新たな首長の判断で、教育における今回の新たな制度設計において、相当これは、総合教育会議を設けることによって、選挙のときに公約したことが十分なされるというふうに思います。

人としての継続性と教育行政における継続性というのは全部が全部重なっているということではないわけで、首長の権限が強化することによって、相当、今回の改正案においても、教育行政における抜本改革というのは十分なされるというふうに私は思っております。


○田沼委員
いろいろ反論もありますけれども、ちょっと時間もあれなのでまた次の機会に議論をさせていただきたいと思います。大統領制という力があると大臣は言われますが、それはやはり、罷免の権限があるけれども振るわないわけです。

千葉市長も、例えば市長がかわったら全部署をかえられるけれども、全局長をかえられるけれども、でも、一部は残して一部はかえるわけです。やはり、権限があるけれどもそれを行使するかは別の問題ですから、権限が制度設計としては絶対必要だと私は思います。これはちょっと答弁を求めているとあれになっちゃうので、また次の機会にさせていただきたいと思います。以上で質問を終わります。ありがとうございます。