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いつも楽しみにしている、自由主義研究会で、今日も渡部昇一先生の日米関係史講義。



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以下、メモです。
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研究は、長期でじっくりやらなければならない。

世界史の大きな流れを決めたのは、海戦なのを、ルーズベルトは知っていた。

日露戦争で、日本がロシアに海戦で勝ったのは、ルーズベルトからすればとんでもないことだった。

マハン「海軍権力史」でも、問うている。

ハワイ占領は、プーチンのクリミア問題と同じ。住民投票で、というやり方。

日清戦争で日本に疑問を持ち、日露戦争で日本おそるべし、となった。

朝鮮には、イギリスもアメリカも興味なし。大陸のみ。

日露戦争直後、ハリマンが、日米共同経営を提案。小村寿太郎は突っぱねた。そのあと、在米日系人への迫害が始まった。

ルーズベルトに恩をきる人が多いが、それはわからない。
ウィッテは講話が成ったとき、皇帝より先にドイツの資本家に連絡したほど、ロシアはお金がなかった。戦争できないほど。

アメリカは人種差別から始まった国。ゆえに、有色人種が、世界最強の陸軍を破り、海軍でも勝ったのは、国体を揺さぶる大事件だった。

ヒスパニックへの差別が問題になったのは、50年代。
インディアンへの差別が描かれ、カウボーイ映画が無くなったのは、ダンスウィズウルブズという最近の映画以来。

日本の脅威は、第一次大戦で更に高まった。青島を放棄させたり。
人種差別撤廃条約も、これだけは反対、といって成立しなかった。
第一次大戦以後、アメリカは、反日国家だった。
排日移民法で、相続まで禁止。怒ってアメリカ大使館で切腹する人も。

アメリカもヨーロッパも、支那を分かってない。支那文明は、周のときに尽きる。
周の民族が消えて、鮮卑という民族が、隋を作った。つまり、支那文明をつくった民族は、いない。
ヨーロッパは表音文字。支那は表意文字。漢字を使い続けるので安定して見えるが、全然違う。
その辺がヨーロッパ人はわからない。

チンギスハンの子孫がつくった元という国は非常に栄えた。
日本と戦ったのは、満州族であり、漢民族ではない。
辛亥革命も、革命ではなく、辛亥独立運動。満州族である北京政府への、漢民族による運動。

日本は、満鉄を持っていた。ゴタゴタのある満州をまとめるため、満州族最後の皇帝、溥儀を使った。
つまり溥儀は、革命運動に追われて、故郷に戻った。

そういうことを、国際連盟で、日本はあまり言わなかった。
満州国に、満州族の皇帝が、戻っただけ。そう言えば良かった。
松岡洋右も、幣原外交も。
一番満州国の承認が早かったのはバチカン。その辺がよく分かっていたから。独立国も半分くらいは承認していた。
日本は主張し続ければ良かったのだが。

張作霖爆殺事件も、日本がやったことになっているが、実は微妙。そこに使われていた火薬は、ソ連のもの。張作霖の載っていた車両も、天井に穴が空いた。線路はきちんとしていた。日本軍がやっていないこと。
田中義一も右往左往した。
これはコミンテルンの策略だろう。

これを知っていたのが、イギリス。秘密機関が調べていた。ゆえにそこと繋がっているリットン報告書は、私は全訳したが、歯切れ悪い。「侵略とは言い難い」

しかしアメリカは、本当に侵略と思った。満州国は、アメリカで言うミシシッピー、と宣伝された。それなら満州は認められぬ、となった。

ソ連は、日露戦争の恨みで、工作員を送った。支那人に、満州国はお前たちのものだ、と煽る。

日本内地は、戦争したくなくて仕方ない。
しかし現地の日本人は、はるかに大変。
ローマ人が、目と耳は違う、というように、亀裂が生じた。

共産党の最大の敵は、蒋介石。
どんどん共産党を追いやる。
それへの不満分子は、蒋介石と日本を戦わせればいい、として、共産党が発砲した。
7/7の盧溝橋事件も、通州事件も、現地の国民党軍は謝っている。
しかし8/13に5万人の正規軍が攻めてきた。上海事変。この司令官は、後からわかったが、共産党。蒋介石は日本と戦いたくなかったが、当時は知らず、そのまま広がってしまった。
ライシャワーはその辺を知っていて、兄も死んでいる。
開戦責任は、日本には無かった。

アメリカは、蒋介石を支援したが、戦後捨てた。
ソ連は毛沢東を惜しみなく応援し、蒋介石は敗北。

いま、中国は、アメリカと一緒に、日本と戦った、とヌケヌケと言い始めた。
我々日本人からすれば、馬鹿馬鹿しい、となるが、世界はあまり歴史を知らないので、信じられてしまう。

我々からして怖いのは、これが広がること。
これは結構前から、中国は主張している。
戦争時、共産党軍は、ゲリラと同じで、国際的は戦いは不可能。

外務省は有効な反撃を、英文でばら撒くべき。
例えば、盧溝橋事件を始めたのが支那側ということ。
東京裁判で、日本の開戦責任を、問うことはできなかったこと。
南京大虐殺。これが無かったのは明瞭。私の家の隣の人は、支那事変に行ったが、かつては戦争にいったときは一、二年で帰国させた。しかし誰も大虐殺のことなど言わなかった。
ミッドウェー海戦の敗北は、どんなに海軍が隠したくても、ちゃんと伝わっていた。真実は隠せない。そう考えると、南京大虐殺は間違いなく無かった。

東京裁判でも、マギー牧師に、アメリカ人の弁護人が反対尋問した。虐殺は何件見ましたか。すると、マギーは一人しか見ていない。それも、日本軍の歩哨に、止まれと言われて止まらなかった支那人が射殺された、だけ。マギー牧師は、どこでも行けて何でもできた人。
その他いろいろの材料でも、あり得たはずがない。

始めから、虐殺がない、と言っていたのは、松井石根大将の秘書の田中正明さん。

そして、民間の研究者が研究し始めた。台湾の李登輝政権のとき、当時の国民党の資料が見られるようになった。それでわかったのが、虐殺あると主張した識者はみな、蒋介石政権から資金をもらっていたこと。

東中野先生の研究でも、市民への虐殺は限りなくゼロ。
たとえば首を切った写真も、支那政府が、匪賊を罰したもの。
ライフの写真で、赤ん坊が置いてあるものも、その前に父親が置いた写真があった。

蒋介石は外人記者と300回会っているが、一度も虐殺のことを言っていない。

これらの検証をしたのは、全て民間。日本政府は、ゼロ!
なんとなく、ビルトコンプレックス。

大事なこと。
支那事変の開戦責任は、日本にはない。
満州国自体、支那人ではない。満州族。
リットン報告書で、日本が侵略したとは言えない、とあることを、世界に喧伝すべき。

一番大切なのは、マッカーサーの上院での証言。アメリカの上院は、日本の参議院と全く違い、根本。
"日本は近代国家として、持っている資源は蚕のみ。他は、石油もゴムも全て東南アジア。我々はそれを売らないとした。従って、日本が戦争に入った理由は、主に、安全保障上のものだった。"
つまり、日本の戦争は、自衛戦争だったと述べている!
東京裁判とは、マッカーサーそのもの。そのマッカーサーが、自衛戦争と、公の場で宣誓証言したのだ!

このことは、日本に伝わったが、朝日新聞だと今の箇所は抜いてある。
このことをもし日本人が、昭和26年のときに知っていたら、どんなに喜んだか。
当時は、亡くなった人が、悪いことをしたとされていた。なのに、敵の大将が、自衛戦争と言ってくれたのだ。

なぜこうなったか?
公職追放で、敗戦利得者の構造になった。メディアも全部変わった。
もし自衛戦争だった、となると、元の人が戻ってきてしまう。
だから報道されなかったのだろう。
各界でも、公職追放で、一流ではなかった人が主要を占めた。
敗戦構造が、わずか6年で確立され、そのあとずっと続いている。

日本の外交官は、この証言を、ほとんど知らない。もちろんアメリカ人も。
日本の外務省がまずやるべきは、アメリカ国務省に、マッカーサー証言を教えること。

これらは全部、民間がやってきた。
政府は何もしなかった。

パール判決書。
昭和2年から始まっている。
ケロッグブリアン協定のとき、ケロッグは、議会に対して、重大な経済的侵略を受けたときが、戦争である、と答えている。ABCD包囲網はまさにそれでは?

パール判決書でも指摘している、重大な人権侵害は、
ヒトラーのユダヤ人殺しと、
アメリカの原爆を含む空襲。

国家公務員の試験に、パール判決書を入れてもらいたい。腹に入れてもらいたい。


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質疑

・プレスコードが外務省に残っているのでは?

・追放解除されたと言うが、その人達は復職されていない!
神よ、日本を滅ぼしたまえ、と言っていた矢内原忠雄が、東大総長として凱旋してきた。

・来年は戦後70年、対策室をつくって、宣伝すべし
相手国のロビー活動がどれだけ盛んだったか。
今の外務省の体制を信じるわけにはいかない。外務省はまだ東京裁判は有効としている。平和条約は何なのか?

・毛沢東が元気な頃、反日はなかった。日本のおかげで政権とれたから。
日本も、教科書で、東京裁判に基づかない歴史観を広げるべき。
文科省は、マッカーサー証言を、検定禁止した。
外務省出身の人が、検定審議のとき、入れさせなかった。

・検定指針がおかしいのは、大阪の部落解放同盟が妨害するから

・東大の駒場が酷い。左翼の巣窟。

・博士課程の基準がバラバラ。いい加減なところも多い。