東條英機といえば、日本を開戦させた悪者であり、ヒトラーのような独裁者だという、誤解を持つ人々が未だに多くいます。


東條がA級戦犯に選ばれたのもあいまって、そのような誤解をしてしまうのかもしれません。
 


 事実をたどればわかりますが、東條は極めて忠誠心の強い、滅私奉公に徹した人物でした。

開戦前の御前会議で、天皇が戦争回避の意志を表明されたため、東條は和平に向けての打開策を死に物狂いで模索しました。

しかし、当時国内世論は開戦一色。

アメリカも妥協する意思は全く見せませんでした。

そして、ついにハルノートという、とても呑むことのできない妥協案を突き付けられ、大東亜戦争に突入することを決意します。



 このハルノートに関して、東京裁判での唯一の国際法学者、パール判事は「ハルノートを突き付けられれば、どのような小国でも米国に対して武器を持ち、立ち上がるだろう」と断じています。

東條は「独裁者」とはほど遠く、史上最悪のタイミングで権力集中されてしまっただけであり、その地位を望んでいたものでもありませんでした。

避けることのできなかった日本開戦を、東條は運命として引き受けました。そして全責任があるわけではないのにもかかわらず、命をもって、敗戦の責任を贖ったのです。



 こういった背景を知らず、安易に批判してしまう人が多いのは残念なことです。

正確な歴史を知り、安易な批判は控える、そういう姿勢で、歴史問題に臨みたいですね。



(写真の出典:Wikipedia)