日露戦争最終局面の日本海海戦前、日本はロシアのバルチック艦隊がどのルートで来るのか、という問題に頭を悩ませていました。この大勝負、失敗は許されません。海軍首脳たちが頭を悩ませる中、不動の心を持って、必ず敵は対馬に来ると皆の迷いを打ち払った海将が、島村速雄です。

 島村は優秀な成績で、海軍兵学校を卒業。イギリスに留学し、海将としての人間性に磨きをかけるとともに、英国伝統海軍戦術「単縦陣」を日本海軍の武器にまで磨き上げ、海戦での強さの基盤を作りました。
 
 頭脳明晰であり、不動心を持った軍人・島村でしたが、人間としても特出した人物でした。日本海海戦で残敵掃討にあたった島村は、追撃したロシア艦を撃沈すると乗艦を急行させ、あらゆる綱や木材を投げ入れできる限りのロシア乗組員を救助します。参謀でありながら、実際の司令としても手本となる戦い方をします。

 軍人としてだけでなく、人間として非常に完成していた島村。この時期に島村が活躍していたことは日本にとって幸福なことだったと言えます。今、このような先人達がいたからこそ、日本があるということを今一度思い起こしたいですね。

(『いどばた稲毛』2013年8月号掲載)


千葉から、日本維新! 日本維新の会・田沼たかしの挑戦-島村速雄

写真の出典:Wikipedia