明治43年、訓練中の潜水艇が事故で浮上できず、14名が殉職する、痛ましい事件がおきました。その艇長が佐久間勉です。艇が引き上げられ、扉をあけると、佐久間以下13名の部下は全員、取り乱した様子もなく、各々の持ち場を離れず亡くなっていました。

 当時、欧州でも同様の事件が多発していましたが、その際、ハッチの近くに乗員が殺到し、折り重なっている状態で発見されるのが普通だったので、最後の最後まで自分の職務を全うする姿に多くの人が感動を覚えました。

 艇長・佐久間が苦しい息の中で書いた遺書には、潜水艇の喪失と部下の死を謝罪し、この事故が潜水艇発展の妨げにならないことを願って事故原因の分析を記し、そして部下達の家族への特別な配慮を明治天皇に願い出るものでした。

「謹ンデ陛下ニ白ス 我部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノ無カラシメ給ハラン事ヲ 我念頭ニ懸ルモノ之レアルノミ」

 この事件は大きな感銘と反響を呼び、明治天皇から遺族への特別な見舞金が、そして日本全国から義捐金が集まり、佐久間の遺志は報われました。各国からも多数の弔電が届き、国内でも長らく修身の教科書に「沈勇」の題で掲載されていました。

 自分の使命を最後まで遂行する責任感、そして部下を最後まで思う仁愛を、身を以って佐久間艦長達は示しました。佐久間精神は、日本の誇り。多くの日本人が知っておきたい歴史ですね。


(『いどばた稲毛』2013年7月号掲載)

千葉から、日本維新! 日本維新の会・田沼たかしの挑戦-佐久間勉

写真の出典:Wikipedia