柴五郎は会津の出身。会津戦争敗戦後、会津人として冷遇された少年時代を送ります。その後、日新館、陸軍学校を経て、軍人となり、清国公使館の駐在武官に着任します。

 着任後まもなく、義和団の乱が発生。義和団は各国大使館を取り囲み、北京城に追い込みます。

 ここで柴五郎率いる日本軍は、どの国よりも活躍します。短い睡眠時間で、最重要拠点の王府を、限られた弾薬で守り抜く。英国公使館が突破されたとなれば、すぐに駆けつけ、敵兵を退ける。常に冷静な柴五郎の指揮と日本兵の働きに、各国は鼓舞されます。そして柴は事実上の指揮官に持ち上げられ、二か月の籠城戦を持ち堪えました。この柴の活躍があったからこそ、英国からの信用が築かれ、日英同盟につながり、ひいては日露戦争の勝利、我が国の存続に至るのです。

 真の武士を育て続けた会津に生まれ、冷遇時代を送りながらも、会津侍としての誇りと礼節を忘れず、任務を果たした柴五郎。それにより、今日の我々があることを、覚えておく必要がありますね。

(『いどばた稲毛』2013年6月号掲載)


千葉から、日本維新! 日本維新の会・田沼たかしの挑戦-柴五郎(写真の出典:Wikipedia)