新政府軍と旧幕府勢との戦い、戊辰戦争。松平容保が率いる会津藩も、新政府軍に追討命令を出され、戦争へと巻き込まれます。

 会津戦争は壮絶を極め、男のみならず、女性も子供も戦いました。白虎隊の少年達、女性ながらも最前線で戦った中野竹子、緊迫した城内で女性の指揮をとった輝姫。誰もが、藩の存亡をかけ、会津の誇りをもって、武器を持ちました。新政府軍の圧倒的武力に、苦しい籠城戦を強いられましたが、1か月もの間その闘志を燃やし続けたのです。

 容保は降伏後、自ら謹慎の身となりました。それに対し、容保の才の高さから、政治参加を促す声も。しかし、容保は「戦死した者、未だ苦難を強いられている者は幾千といる。それは自分一人の不徳から生まれたもので、私一人だけが栄華な生活はできない」と、全て拒否しました。

 容保は、覚悟と勇気をもって戦った藩民の犠牲のもとに自分がいることを、自身も籠城し、その戦いを目の当たりにしていたため、深く理解していました。そのため、遺された者達を思い、死んだ者達への供養に尽くすことを決意したのです。

 現代の私達も、容保の姿勢にならって、ただ豊かさを享受するのではなく、多くの先人達の犠牲の上に今の日本がある、ということを再認識し、感謝する必要があります。

(『いどばた稲毛』2013年3月号掲載)

千葉から、日本維新! 日本維新の会・田沼たかしの挑戦-会津
損傷した若松城(写真の出典:Wikipedia)