今年の大河ドラマ『八重の桜』の舞台である会津藩。会津藩は多くの藩が新政府軍につく中、幕府への忠義を貫きました。その象徴的人物に、
「義に死すとも不義に生きず」
の名言で知られる若き藩主・松平容保がいます。

 幕末の京都は尊王攘夷運動の中心となり、天誅が相次ぐなど激しく治安が悪化していました。そのため幕府は、容保を京都守護職に指名。しかしこの時、幕府の権威はすでに失墜しつつあり、京都守護職として治安責任を負うのは、まさに火中の栗を拾うこと。家臣は会津藩の存亡に関わるとして猛反対をします。

 しかし、容保は反対を押し切り、守護職を拝命。
藩祖・保科正之の
「将軍に尽くすを藩の使命とし、徳川宗家と盛衰存亡を共にすべし」
という遺訓、そして容保が持つ幕府への強い忠誠心が、自らの身は顧みず、守護職の就任へと突き動かしたのです。

 この結果、大河ドラマでお分かりのように、会津藩は悲劇の歴史をたどります。容保の判断が正しかったかはわかりません。
 しかしながら、厳しい局面でも忠義を貫くという、日本人の美しい精神を、身をもって後世に伝えてくれました。新撰組も同様です。多くの藩が戊辰戦争の際、無節操に官軍に恭順する中、会津の忠義があったことを、私は日本人として誇りに思っています。

(『いどばた稲毛』2013年2月号掲載)

千葉から、日本維新! 日本維新の会・田沼たかしの挑戦-松平容保
(写真の出典:Wikipedia)