まもなく稲穂が垂れる9月。お米にまつわる偉人といえば、小林虎三郎です。
新潟生まれの私としても、ひときわ思い入れがあります。 


 幕末、戊辰戦争で敗れた長岡藩は、壊滅的打撃を受けました。激しい戦闘で田畑は荒れ、町は焼け、財政も厳しく、長岡藩士たちは飢えに苦しんでいました。

 そのありさまを見た三根山藩は、百俵の義損米を長岡藩に贈ります。藩士たちは、これで困窮をしのげると喜びました。

 しかし、大参事の小林虎三郎は「国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ」と教育第一主義を唱え、売却を訴えます。藩士たちもこの虎三郎の気概に負け、その米を売って学校設立の資金に使いました。

 その結果、設立された国漢学校は多くの人材を育て上げます。虎三郎の「富強の本ただ人民の知識を開く外なし」という思想により、農民や町民の子弟も入学を許可されました。また先進的な洋学局や医学局も設置され、充実した教育内容でした。ここから、山本五十六ら多くの優れた人材を輩出していきます。

「米百俵の精神」厳しいときこそ、目先のことにとらわれず、遠くを見据えて決断する。
 教育委員会の無責任体質も騒がれ、これから厳しい時代を乗り越えなければならない現代の私達は、虎三郎の精神に再び学ぶ必要がありそうです。

(『いどばた稲毛』2012年9月号掲載)


千葉から、日本維新! 日本維新の会・田沼たかしの挑戦-小林虎三郎(写真の出典:Wikipedia)