ガラス細工のようなポーツマス合意でしたが、不幸だったのは、その実情を国民が知らなかったことでした。

 日清戦争の数倍の戦費負担や犠牲者を出し、また連戦連勝したにもかかわらず、賠償金が得られなかったことを、国民は理解できませんでした。不満は爆発し、数万の群衆による日比谷焼打事件など、暴動が全国に展開。戒厳令が敷かれるなど混乱や反発が治まらず、最後には桂内閣の退陣にまで至ってしまいます。


千葉から、日本維新! 日本維新の会・田沼たかしの挑戦-講和への反対集会(写真の出典:Wikipedia)


 これは政府の情報統制が原因です。実は既に戦費は国家予算6年分を超過。また前線の武器弾薬も尽きるなど、軍事的財政的に日本は限界を超えていました。しかしこれを公表すれば、当然それはロシアに伝わり、ロシア内戦争継続派の発言力が高まって、戦争が長期化しかねません。日本としてはこれ以上の戦争継続は絶対に容認できなかったため、政府は実情を正確に国民に伝えることができなかったのです。

 こういった、戦争終結という「結果」を得るために、情報統制をしてよいかどうかは、とても深いテーマです。もちろん民主主義に反します、が、結果は得なくてはなりません。現代の我々もよく考えておく必要がありそうです。

 さて「小村許し難し」「弔旗を以て迎えよ」と新聞に非難される中、帰国した小村に、怒り狂う団体は様々な罵声を浴びせます。このとき桂首相と山本海相は小村を新橋駅に出迎え、爆弾等を浴びせられたときは共に倒れる覚悟で、両脇を抱えて歩いたそうです。また暴動で妻が精神的に追い詰められ別居になるなど、悲劇が襲います。

 我々国民はこうした悲劇を起こし得る存在です。常に冷静に大局観を持って、政治を考えたいですね。

(『いどばた稲毛』2012年5月号掲載)