日露戦争は、その感動的勝利もさることながら、その後の集結を担った外務大臣・小村寿太郎にも注目です。「戦争は始めるより終わらせる方が難しい」と言うように、いかに軍が優れていても、最後には「外交力」が試されます。
日露戦争で日本は終始優勢を保ち続けました。しかし、元々戦力に劣る日本には、長期間戦争を続ける選択肢はありませんでした。一方ロシアは、日本海海戦で完敗したものの、まだ兵力には余裕があり、いざとなれば戦争継続という強硬姿勢を崩していませんでした。このような一歩間違えれば決裂する、非常に困難な交渉であることは予め予測されており、伊藤博文は小村に対し「君の帰朝時は、他人はどうあろうとも、吾輩だけは必ず出迎えにゆく」と励ました程でした。
実際、ポーツマス会議は難航します。ロシア全権のウィッテは、皇帝ニコライ2世から「一にぎりの土地も、一ルーブルの金も日本に与えてはいけない」という厳命を受けていたのです。そのため「賠償金と領土割譲」の2つは、最後の最後まで対立し、仲介したルーズベルト米大統領も「ロシアにはまったくサジを投げた」と、一度は交渉決裂寸前までいきます。
この後、交渉はどうなったのか...それは来月号でお送りします。お楽しみに!
(『いどばた稲毛』2012年3月号掲載)
日露戦争で日本は終始優勢を保ち続けました。しかし、元々戦力に劣る日本には、長期間戦争を続ける選択肢はありませんでした。一方ロシアは、日本海海戦で完敗したものの、まだ兵力には余裕があり、いざとなれば戦争継続という強硬姿勢を崩していませんでした。このような一歩間違えれば決裂する、非常に困難な交渉であることは予め予測されており、伊藤博文は小村に対し「君の帰朝時は、他人はどうあろうとも、吾輩だけは必ず出迎えにゆく」と励ました程でした。
実際、ポーツマス会議は難航します。ロシア全権のウィッテは、皇帝ニコライ2世から「一にぎりの土地も、一ルーブルの金も日本に与えてはいけない」という厳命を受けていたのです。そのため「賠償金と領土割譲」の2つは、最後の最後まで対立し、仲介したルーズベルト米大統領も「ロシアにはまったくサジを投げた」と、一度は交渉決裂寸前までいきます。
この後、交渉はどうなったのか...それは来月号でお送りします。お楽しみに!
(『いどばた稲毛』2012年3月号掲載)