吉田松陰は、萩で小さな私塾「松下村塾」を開き、そこから高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文(初代総理)、山県有朋(陸軍大将)など、多くの志士たちを誕生させました。

 松陰先生は「至誠にして動かざる者、未だこれ有らざる也(動かない者は本気ではない)」を座右の銘とし、実際に動いた人でした。外国を知らねば日本は守れないとの一念で、ペリーの黒船に乗り込む。また、いまの老中では日本は守れないと暗殺を計画、失敗して処刑されてしまいました。

「かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」
―損得を越えてでも、やらねばならないことがある。それをやるのが日本人だ―

 この言葉通りの生き様は、後に続く多くの若者の心に火をつけ、明治維新という大事業を成功させました。
私もいつも、この言葉を胸に、勇気を持って行動するようにしています。松陰先生の生き様は、時代を超えて、私たちの心に訴えてきます。

(『いどばた稲毛』2010年4月号掲載)


千葉から、日本維新! 日本維新の会・田沼たかしの挑戦-吉田松陰(出典:Wikipedia)