保守系の新聞「青年運動」に、田沼の主張が再び掲載されました。

タイトルは「教育委員会は解体的に出直しすべし②~いじめ対策から」。

全文を掲載しましたので、ご覧ください。

$千葉から、日本維新! ~千葉市議会議員・田沼隆志の挑戦


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教育委員会は解体的出直しすべし② ~いじめ対策から


 7月に発覚した滋賀県大津市のいじめ自殺事件をはじめ、全国各地のいじめ問題が大きく報道されている。かつ、報道されるものは氷山の一角でしかなく、その他にも多数のいじめ事件が起こっていることは疑いようがない。そして同じように、教育委員会は有効な手だてが打てていないだろう。

 前回寄稿で私は「教育行政は治外法権」「教育委員会は解体的に出直しすべし」と訴えたが、いじめ問題を通じて、改めてこの教育委員会の問題を考えてみたい。

 まず第一に、当然のことながら、いじめを事前に防ぐ教育、すなわち道徳教育が重要である。本来、道徳教育とは「卑怯なふるまいをしてはいけない」とか「弱いものいじめをしてはならない」等、人として守るべき当然の行いを教えるべきものである。しかし、現在の道徳教育は、きちんとそれを教えているとは到底言い難い構造がある。その点を千葉市議会の6月議会(第2回定例会)において私は追及した。

 まず前提として、道徳は正式な「教科」になっていない。ゆえに専門の先生がいない。教科書も無い。この時点で既に、道徳教育は軽視されているとしか思えない。

 教科書がないため、副教材が使われている。もちろんこれには検定はなく、採択もない。ゆえに内容もバラバラ、質も担保できていない。

 たとえば千葉県で広く使われている教材『新しい道』(下図)の内容を見ると、登場人物もエピソードも架空のものであり、内容的にも抽象的で毒にも薬にもならないようなものが多い。加えて問題なのは、千葉市ではこの教材は卒業したら学校に返却し、翌年の生徒に回していることだ。一年間つかった教材が手元に残らないのである。実際、道徳の時間にどんなことを勉強したか覚えていない方も多いのではないのだろうか。

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 資料は教師各自が準備するため、他の地域でも、文科省や各教育委員会の編纂資料、その他各社の道徳資料集から取捨選択すること等が多い。NHK教育テレビの番組を見て終わりというケースもあるという。

 専門の先生もいない、教材の内容も曖昧やバラバラで、手元に残らないことすらもある。これではまともな道徳教育がなされているとは言い難いのではなかろうか。

 このような事態の背景には、GHQによる戦後の教育政策がある。GHQは、日本が二度と団結して敵対してこないよう、「民主化」という美名の下に、様々な日本精神を破壊しようとした。その最大のものが、教育勅語の排除である。親孝行・友情・自己鍛錬・勇気など誰しもが尊重すべき徳目を否定し、その代わりに、「自由」、「権利」、「個性」を尊重するように仕向けた。その結果として「価値観の押しつけはよくない」という前提がうまれた。これが現在の道徳教育の形骸化の真因である。道徳が正式な教科となっていない要因でもあろう。価値観の押しつけはよくないというが、人として最低限のことは、押しつけであったとしても子供達に教えるべきではないだろうか。それを怠ってきた戦後の道徳教育に、現在のいじめを始めとする様々な問題の原因があるのである。

 そこで私がお勧めしたいのは、育鵬社の『13歳からの道徳教科書』の教材採用である。この本の特徴は、各徳目が、小林虎三郎や吉田松陰等の歴史上の人物や、「米百俵」「稲村の火」などの物語、更にはイチロー、ビートたけし等の現代の有名人の話を基に書かれており、非常に具体的にイメージが湧きやすいように構成されているということである(下図)。子供達は、自分の生き方のモデルとなる人物に出会うことができる。正直なところ、36歳の私でも感動するような内容が多数ある。市販しているので、読者諸兄にもぜひご覧頂きたい。そして道徳の時間で活用され、子供達の印象に残るような話を通して、道徳心を養う手立てとして頂くことを願っている。

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 事なかれ主義となりやすい教育委員会だが、議会の質疑では、若干前向きな答弁を引き出すことができた。既に千葉県南房総市などでは、全中学生約1000人に配布されるなど、活用の機運が広がりつつある。引き続き千葉市でも、導入に注力していきたい。

 また、いじめ対策としては、事前予防的な観点からの道徳教育だけでなく、いじめが起こったあとにどう対応するかという観点も重要である。すなわち、いかに早くいじめを発見し、再発を防止するかという観点である。こちらについても9月議会(第3回定例会)で取り上げた。

 いじめの早期発見のためには「認知の外部化」を検討すべきである。現在のシステムでは、いじめの発見をするのは担任の先生であり、いじめの存在について責任を負うのも担任の先生である。これでは、いじめを発見するほど責任が問われてしまうので、どうしても隠そうとしたり、認めたくない動機が残る。その結果、対策は講じられず、いじめが重大事件に発展してしまうことが起こり得る。あとから「いじめとは思わなかった」などと反省しても遅い。

 これを防ぐために、いじめの発見を第三者機関等に外部化し、早期発見に資する制度を作るべきである。現在、和歌山県では、知事と教育長がいじめを受けた子供から直接メールで相談を受け付けたり、大阪市では区長直通のいじめ電話相談をしたりと、各地で先進的な取り組みが始まっている。いじめを発見できなければ、その後の支援対策をいかに充実させても意味が無いのだから、このような取組みを全国に広げなければならない。

次に、再発防止のために私が導入すべきと考えるのが「ゼロ・トレランス(寛容ゼロ)教育」である。これは、1990年代にアメリカで始まったものであり、それまで「寛容」の名の下に善悪の価値判断を曖昧にしていたのをやめ、いじめや喫煙、暴力等の悪質な行為をした者に対し、速やかに例外なく出席停止等の処罰を与えるものである。それでも改善が見られない場合は、オルタナティブ・スクールという矯正施設に転校させ、更生するまで元のクラスには戻さず、最悪の場合には退学もありうる。

私が思うに、今はとにかく加害者への処罰が甘い。いじめをしても大した処罰がなされないから、加害者は反省もしないし、同じことを繰り返す。千葉市においては、これまで過去記録ある限り、出席停止処分は0件である。全国的にも極めて少数とのことだ。

しかし最近、これを改める機運が生まれつつある。品川区教育委員会は、いじめ加害生徒への積極的な出席停止処分方針を打ち出し、また宮城県教育委員会でも早期いじめ対応メニュアルで出席停止の推奨に踏み込んだ。陰山英男・大阪府教育委員長が「適用ためらうな」と発信、また大手新聞各紙も同様の論調である。

とはいえ依然、全国のほとんどの自治体は、千葉市同様、出席停止処分に慎重だ。教育委員会が出席停止に慎重なのは、加害者に配慮しているからである。しかし、加害者への配慮よりもその他一般の善良な子供達への配慮の方が重要なことは言うまでもない。それに「ダメなものはダメ」という原理を貫くことも、間接的な教育効果があるはずである。加害者に対しては、出席停止等の厳しい処分の積極的な導入が求められる。

 そもそも、いじめの再発防止のためには、いじめの実態把握が重要である。何を当たり前のことを言っているのだと思われるかもしれないが、その当たり前のことが今はほとんど行われていないのである。例えば千葉市では、学校別のいじめ認知件数や教員別のいじめ認知件数を把握していないと言う。正確には、把握はしているが発表していない、であり、学校単位教員単位にメスが及ばないようにする、事なかれ主義そのものである。これは多くの自治体でも同様だろう。まずいじめがどこでどのように起こっているのかがわからなければ、効果的な対応は難しい。この構造は学級崩壊についても同様であり、教育委員会の悪しき体質の象徴である。

 なお私の議会質問でも、上記の各種提案については、完全に消極的答弁に終始した。あまりにも危機感に欠ける。やはり現行の教育委員会制度の下では、直視したくない問題でも勇気をもって認識することは、不可能と言わざるを得ない。責任を認め、またその対応を決定できる組織に改めていかねばならない。いじめ対策の観点からも、やはり教育委員会は解体的出直しが必要である。

 総選挙が近づいているが、日本維新の会や石原新党など、そういった抜本的な改革を唱えるグループが出現しつつある。いじめを防げる教育委員会を作るべく、青年運動読者諸兄と共に、行動していきたいと思っている。

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(事務局)