教科書改善の会主催の日本文明論シンポジウム「縄文一万年の文化力 ~今につづく日本文明の基層」に参加しました。

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私は学校教育における古代史の捉え方に強い疑問がある。ぜひ正しい学びを深め、正していきたいと思い、参加しました。


いつも通り、以下、備忘録です。内容不備はご容赦下さい。


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○八木秀次・日本教育再生機構理事長(かつての私のボス)



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今、世の中で多く採択されている教科書はほとんどが、中国大陸には高い文明があったが、日本は遅れていたという構成。外国コンプレックスをはじめから持つように教えられている。


中国の記述…先進的
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日本の記述…未開人的
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・そうではなく、縄文文明が今日の日本文明の基層をなしていることを示したい。

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・先祖を大事にする、自然を大事にする、などの日本文明の特徴は、この縄文時代につくられたと言われている。

・沖縄では10世紀まで、アイヌでも6世紀頃まで、縄文文化の影響を受けた時代があった。今の記述はそれがわからない。階級闘争史観。

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しかし元は共通の基盤の上に成り立っていた。




○小林達雄・國學院大學名誉教授

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・日本で氷河期が終わったあと、縄文革命が起こる。
それまでの旧石器時代は、絶滅した大型動物などが闊歩していた。人間も自然秩序の一部であり、鹿や山羊と同じだった。

しかし縄文革命で、遊動生活から定住生活に変わる。これが大きかった。

遊動生活の目的は、食べ物を食べること。だいたい3家族くらいでつるんで動いていた。食べ尽くすと他に移る。
定住生活だと、村から出て、帰ってくる。

これで一番恩恵を受けたのは、老人。
老人はかつては落伍していった。朝起きると、おじいさんおばあさんが身を隠す、若夫婦はいくらかの食糧を残して他に行き、しばらくして戻ると老夫婦の遺体がある…そういう伝説が世界中にある。姥捨山など。
しかし村ができると、老人は天寿を全うできる。天国だ。
そして老人は最も経験豊かで情報を持っている。図書館のようなもので、それを子や孫に伝えた。
だから縄文文化は充実した。世界的にも関心を持たれている。

そして日本の縄文文化が面白いのは、世界のどこよりも圧倒的に早く始まったということ。15000年前。土器作りでもトップ集団に常にいた。
このあとにメソポタミアなど。これらは9000年前。

なぜこんなに早いのか。
これは日本民族が優秀だったからではなく、おそらくこれは、遺跡の密度が高かったから。つまり人口密度が高かったから。
そうなると、文明が発展する。

土器を持つのは、定住を始めた何よりの証拠。
遊動生活では、土器を抱えて移動などできない。
粘土を見つけ、形を作り焼き固めて、利用する。これは遊動では無理。

漆も、かつては輸入文化と思われていた。しかし最近の科学では、中国よりも1000年も早く日本が作っていたことが証明された。
犬を飼育するのも日本がトップ。
釣り針も縄文時代に日本が開発。これもどこよりも早い。
いうなれば、先史時代の日本縄文文化は、今でいうシリコンバレーのようなもの。
つまり人が集まっているため、発明が続いた。

縄文の村は、世界中みな同じだが、採取なども全部を取り切らない。一部残す。多種多様なものを発見し利用した。
私はこれを縄文施政方針と言っている。
実は縄文時代は餓死者は出なかった。餓死者が出るのは農耕が始まってから。

日本では村と原。自然との共存共栄。
一方大陸では、原ではなく、野良。「自然との戦いに勝ち抜いてきた」という表現になる。共存共栄の経験がない。
その結果、大陸側から、新しい技術が生まれた。車など。ここから世界の4大文明となった。
縄文がそうならなかった分かれ目は、この点が大きい。


日本語も、縄文時代にあった。
言葉とは文化。日本語は日本文化を作った。ざぶんざぶん、ちょろちょろ、など。日本人がそう聞こうとしたから生まれた。
コオロギの泣き声を区別できるのは日本語のみ。
中国から多くの言葉が日本語となったが、擬音語はほとんど日本独自。

縄文言語は、115の音節で区別している。
世界では440。
シェラトンとヒルトンの区別つかない。
俳句を作っていれば、自然との対話をすることとなり、日本文化は保たれる。
この日本文明の基層を、縄文時代に築いた。
現代最も問題なのは、自然と離れたこと。



○長部日出雄・直木賞作家

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日本書紀と古事記は決定的に違う。
日本書紀は漢文で書かれている。つまり日本の歴史を中国の言葉で書いているということ。
古事記は大和言葉で書いている。

古事記によると、我が国の皇室は、天上の高天の原から降りてきたとされている。イザナギとイザナミのまぐわいで、大八島を生んだ、と意識している。

津田左右吉という偉い学者がいたが、
かつて縄文人は野蛮というイメージしかなかった。
しかし青森の三内丸山遺跡で縄文時代の捉え方がガラッと変わった。

笠沙の岬が、吉い地と、邇邇芸命は言うが、
9500年前の定住集落遺跡が、霧島の上野原で発掘され、国内最古最大級の国指定史跡となった(上記写真)


縄文海進というが、当時は水位が今より2、3m高かった。そのため今の内地でも海際の地名も残っている。

火山の噴火に伴う地層で歴史がわかる。
11000年前の桜島大噴火で出た薩摩火山灰と、6300年前の鬼界カルデラ大噴火で出た赤ホヤ火山灰との間に、大型の土器が出土。7500年前と推定。専門家も弥生土器と間違えるくらい綺麗で宗教的なもの。
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おそらく神様への供物として使った。つまり非常に高度な文明があったということ。


今でも上野原の絶景を見ると、古代人が天孫降臨を信じたのは何の不思議もない。
下流の川は、天降川という地名もついている。

出雲大社の高さは、かつては現存する本殿の24mと言われた。しかし柱の基部が発見され、48m説が一気に高まった。
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自然に感謝し、自然と共存し、生きる知恵を持ってきた。
今こそ縄文人の生き方に学ぶべき。



○呉善花・拓大教授

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韓国と日本で最も違う文化は、言葉。特に濁点。

かつて韓国で学んだ頃は、韓国から未開の日本に文化らしい文化を教えた、と教わった。
ゆえに日本に来たときも、特に日本文化に興味を持たなかった。
ところがどうしても不思議なのは、この国の宗教性。最も先進国である国で、大の男たちが、神社で拝む。
儒教文化ではこれは全くないこと。

となると、この国は仏教なのか?と考えたが、しかしそれだけでもない。
日本人の精神性がわからず、ずっと探ってきた。

神々を信じる、という点だけではない。
儒教では差別されている、技術や芸術を、日本では大変尊敬している。
これは韓国人ではできない。繊細な部品などは作れない。
20年前来日したときも、ソニーの技術者と名刺交換した。そのとき私は大した人じゃないと思ったが、日本人は尊敬する。
今でも韓国人は技術者という呼称を嫌がるので、代わりにエンジニアと名乗っている。

芸術者も同じく蔑視されてきた。

和食の中で、刺身や寿司を食べるのは、韓国文化から見れば、生で食べるわけで、最も原始的。
煮る、という段階に来てこそ、文明的。
手を加えているけれども、いかにも何もしていないように見せるのが、日本文化。典型的。

韓国と日本ではお米文化が同じだが、もう1つ似ているのが漬物。
韓国ではキムチ。
しかし日本人は生そのもの。浅漬け。これを日本人は好むが、韓国人からすれば最もイライラする。

道端でおばさんがしゃべっていた。何と話しているのか?子供でもいるのかな?と思ったら、小さな花だった(笑)
誰もこういうことを不思議がっていない。

若い人も「川と会話をした」と言う。おかしいのでは?と思ったが、これはちっともおかしくないのが日本の文化。
川などは、雑音に聞こえるそうだが、日本人だけは会話となるらしい。
何百年も経った木など、触って会話するという。ましてや切ってどかそう、などと言うと、切れない、と言う。
近代国家ではこういうことはあってはならない、と教わる。自然は人間が超越しなければならないと教わる。どんな自然も人間が開発せねばとなる。
儒教でも、木や草まで拝む日本人は、未開人に見える。

韓国の牧師が日本の武道館で説教したとき、日本には八百万の邪気がいるので、これを追い払う使命がある、と言った。家の隣に神社があったので、早くこれがなくなり、十字架がたちますようにとかつて私も声を出して祈っていた(笑)

日本文化には「もののあはれ」という観念がある。滅びをそのまま受け容れる。葉っぱが全部散ってしまった木を見て「美しい」という日本人が不思議だった。
小さな虫の鳴き声を聞いて感動するというが、韓国人からすれば虫の音は虫の音。
もののあはれというのは、命の儚さを歌ったものが多い。
飛び石と飛び石の間に、苔がある。カビの一種だから、高度な文化の中では洗い流さないといけないものなのに、日本人は大事にする。コケも神様。
世界では華やかなものではない、とされる。

日本の美意識の根源にあるのは、わびさび。
その代表は茶道。
今にも倒れそうな茶室で、どす黒い茶碗を、愛でている。
朝鮮半島では、ピカピカ輝く花などが重宝される。若くて美しい花が理想。ところが日本人だけが違う。
とにかく不思議な日本、その本質は、縄文的な精神性にある。




○討議

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小林;縄文土器は変わっている。土器が波打っていたり突起があったりすると、それは実用性が低く、本来は失格。しかしそれを縄文人は作った。世界観を表している。だから飽きない。弥生土器は飽きる。

土偶は、朝鮮半島や中国にはない。あれはお人形ごっこではない。第二の道具。
第一の道具は食べ物をいれたり、その工具。
第二の道具は、第一では賄い切れない機能を補う。

例えば槍で狩は、ミスする。弓矢の鏃は、青銅器などで作る。でないと殺傷能力がない。
しかし縄文人は鏃を土器で作った。これは殺傷のためでなく、祈りやお願いのため。


長部;伊勢神宮に初めて行ったのは還暦過ぎてから。外宮と内宮、両方を参拝し、すっかり宗旨替えした(笑)
世界中どこに行っても、華美な建築で人を圧倒する。
しかし伊勢神宮は、素材の美しさ、簡潔さと合理性を徹底的に追求したもの。これをブルーノタウトは奇跡と言った。

普通、世界中どこでも、古い神様は捨てられる。新しい神は古い神を駆逐する。
しかし日本では今でもパワースポットなどといって若い人が参拝している。これは世界ではないこと。



呉;技術の高さを考えると…
ものを作るときに、日本人はただのモノとして作っていない。作るときも、魂を吹き込む、命を吹き込むという面が強い。いくらお金が手に入るなどよりも、それでどれだけ人が喜んでくれるかを重んじる。

若い人に聞いたら、小さな頃の人形が捨てられない。これはあらゆるものに魂が宿るという精神性ゆえ。

カラオケも日本でしかできない。これはカラの部屋にオーケストラを吹き込む。
世界中どこも、日本のアニメには敵わないと思っている。なぜここまで繊細な作品ができるのか?これはやはりモノに魂を吹き込むから。
アニミズム的要素が、世界最新のモノに含まれている。
たまごっち、というサイバーペット。これも日本人にしかできない。八百万の神を信じる発想がないとできない。

日本は縄文時代からずっと続いているのは、侵略を一度も受けなかった島国だった、ということ。
世界でそんな国はない。中国でも朝鮮半島でも、北方民族から侵略を受けて来た。そんな国で、山の神海の神を信じるなど、できない。リーダーシップしか頼りにならない。
日本は幸運な国。

今の日本には、三つの世界がある。
1、欧米化された日本。
2、農耕アジアの日本
3、縄文日本。
この3つ目の日本に未来を感じる。
世界で最も、全体と個の調和。貧富の格差少ない。最先端と最古の技術が共存。治安良い。


○会場からの質問と応答

小林氏関連
Q;外国で土器発掘されていないだけでは?湖南省で2万年前のものがみつかったが?
A;土器は、それだけで存在せず、村の生活などがあってこそ。今回の報道ではその辺がわからず、判断できない。

Q;縄文と弥生は本当につながっているのか?征服民族説もある。
A;縄文人が弥生文化の担い手。文化的には弥生文化に征服された、が、主人公は全て日本列島人。
日本は全体が縄文列島だった。北方四島も。その特徴は、土器に突起があること。
無論各地で方言などもあるが、日本語の構造などは共通。
土器はデザインではない。観念。朝鮮半島と沖縄は行き来していたが、やはりあちらには突起がない。
何が違うかというと、言葉が違った。
樺太とも違う。
津軽海峡は元々、塩っぱい川と言われていた。

Q;縄文時代について外国が興味をもってる、とは?
A;縄文文化は世界でも特異である。日本学が注目されているのは、自然との関係が共存共栄だと直感しているからだろう。


長部氏関連
Q;高千穂に天孫降臨があり、縄文遺跡があったとのことだが、それは唐国との関係があったということか?
A;日本の皇室は海外文化を取り入れることに積極的だった。古事記の素晴らしさは、中国から漢字を受け入れたが、しかし中国の支配下にならなかった点。日本語を確立した。これが画期的だった。決して国粋主義ではない。

Q;高千穂と出雲の関わりは?
A;日本の天皇家の使命は、稲作を広めること。国つ神。
御柱祭りは、縄文文化。

Q;上野原のほかに旅行すべきところは?
A;宮崎の高千穂峡。あれは普通ではない。


呉氏関連
Q;
A;近代西洋文明はもう行き詰まっている。新しい発想、システムを作らないと未来はない。日本の精神性の中にしかないと思っている。
和牛は世界用語。佐賀牛が、ドバイで、200gで五万円ですぐ売れてしまう。魂を吹き込むからそうなる。

Q;韓国における最古の土器はいつ頃?
A;わからないが、朝鮮の磁器は素晴らしく、日本でも生きているが、当地では絶えてしまい、全てプラスチック。水はコップに入ればそれでいい、壊れないプラスチックがよい、という効率的な考えだけ。だから文化衰退。

Q;今日のような話を韓国でしたらどうなるか?
A;話したことない(笑)韓国には数年前まで入国禁止となっていた。隅々まで歩いたが、文化が衰退したことだけわかった。
小林A;ただ3年前韓国行ったら、地下鉄で女学生が席を譲ってくれた。これは儒教文化。
また韓国人はまだ壊れていないものも捨てる。
縄文の場合、壊れても補充せず、直して使う。しかしある時、一斉に捨てる。義兄弟の契りをしたら、杯を捨てる。五体満足の土偶であっても、それを壊す。今の人はそれはできないだろう。つまり非常に犠牲を払ってでもやるものがあった。そういう精神が日本にある。