今日は全国若手市議会議員の会 千葉ブロックの研修会で、
テーマ① 「児童手当について」
テーマ② 「総合子ども園について」
はじめは、児童手当について。
厚労省の児童手当室長によるレクです。
児童手当 ⇒ 子ども手当 ⇒ 子どものための手当(児童手当改造)
という紆余曲折を、お話頂きました。
結論から言うと、政府内で、莫大な労力が費やされてきたことに、暗澹たる気持ちになりました…
・これまでの児童手当1兆円 + 年少扶養控除1.1兆円 ⇒ 子ども手当2.2兆円と、増加実学はわずか1000億円程度
・新制度で受給額が減る世帯もある
・現物サービスへの代替が可能に(保育料や給食費など。児童手当時代からの問題を改善)
・税控除は高額所得者に有利な制度だったので、手当として直接給付に変えたことで、より公平に
・この子ども手当が、どれだけ出生率や子育てへの支援に、寄与しているのか、そういう投資対効果を見るような数値的な分析はしていない。
・手当の使途調査で「これで子供を産もうと思ったか?」への答えで、1割プラスになった。これを大きいと見るか否か
・所得制限をいれたため、新制度は非常に複雑な支給となってしまった。それがなければ、単に年齢で一律支給できたのだが、今回は申請主義にせざるを得ない。実際に支給をする自治体でも、システム改修が大変だろう
莫大な労力を費やした割に、上記のように、あまり意義や効果のない新制度となったことについて、どう思うか? を質問したところ、
・かつて国民は、政権交代選挙において、圧倒多数で民主党を支持した。つまり子ども手当も認められた
・しかしすぐあとの参議院選では、ねじれ国会となり、マニフェストは大きく修正されてしまった
ある意味、国民の政策への支持がブレ過ぎる
うならされました。
つまり、この「労多くして益少なし」となってしまった、一番の原因は、ねじれ国会にあるのです。
参議院が強力過ぎて、決定できない政治となり、それに伴って、決定できない行政、となっています。。
これは国家的な損失です。
ねじれ国会を作った、国民にも、その自覚が必要です。
(もちろん私はそもそも子ども手当という政策自体に反対ですが)
民主党を支持した人は、その政策を支持した、としなければならない。
コロコロ支持を変えてしまうと、政策まで左右され、まともな実行にたどり着けません。
(こう書くと、子供手当を貫徹すべき、のようですが、もちろん私は反対。一般論として言っています)
衆参選挙が頻繁にやってくるとき、民意がすぐ変わってしまうと、こういう結果になるわけです。
選挙が頻繁になければいいのか…(1)、
それとも民意がコロコロ変わるのを正すべきなのか…(2)
両方なのでしょう。
1.なら、参議院を廃止、あるいは選挙選抜ではなく勅選にする、
あるいは参院選は衆議院と同時にやるようにする(実際は衆議院解散を参院選と同時になるよう総理がする)、
などでしょうか。
2.のためには、やはり国民が心底賛同できる、政治側の説明と、
国民もその責任を自覚して、しっかり理解したうえで投票し、簡単には支持を変えないこと、でしょうか。
支持を変える、ということは、以前の自らの判断が誤っていたことを意味します。
もちろん支持を変えてはいけない、というのではありませんが、支持変更に伴う犠牲とその自らの責任を自覚することは不可欠です。
無責任な国民からは無責任は政治しか生まれませんから…
とにかく、ねじれ国会によって、決定できない民主主義になっている、
その典型例を見たようで、とても暗澹たる気持ちになりました…
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次は、子ども・子育て新システムについてのレク。
いまは厚労省保育課、文科相幼児教育部門、内閣府少子化対策部門にまたがっているそうですが、
将来的には内閣府に統合し、厚労省や文科相からは所管を移動するそうです。
自治体側もそのように改編して欲しいとのことでした。
千葉市はその意味では、こども未来局がありますが、
しかし幼稚園の私学助成や許認可は、県が担当しています。
まさに二重行政というか、ねじれの問題。どちらかに寄せるべきでしょう。
この件については、私は、市に集約すべきと思います。きめ細かい目配りが必要ですので。
余談ですが、こういった、県から事業・権限を市に移すことは、これ以外にも様々必要でしょう。
そうして、地域の自立経営ができる形になることが必要です。
同時に市単独では効果の薄い、規模の必要な事業、特に経済政策やインフラ事業などでしょうが、
そういったものは県に移管し、最終的には道州制に展開することが必要と思います。
さて新システムですが、保育園に教育機能を持たせることは、賛成ですし、公立保育所についてはそれは可能とも思います(財源次第ですが)。
しかし幼稚園からすれば、こども園になることで、どういうメリットがあるのかが、今一つわからないままでした。
誘導施策として、調理室整備の補助金など、インセンティブを用意していくとのことでしたが、
やはり問題の本質は、現在の幼稚園は、相当数が、教育哲学を持ってやっているため、こども園になることでその独自の教育カリキュラムが阻害されないかをとても気にしています。
ましてや、待機児童解消のため、預かり保育をして欲しいと国が思っても、それは本来業務ではないため、力押し(=補助金たくさん)でやるしかない状態です。
そもそも、待機児童解消が絶対善なのかも、多くの議論があるところです。
親の都合で子供が長時間保育所に隔離されることは、避けるべきで、行政がそれを誘導すべきでない、昔はこんなになかった、という議論もある。
それに対する明確な回答を聞いたこともありません。
だから必然的に、幼稚園に、保育園的機能をお願いするにしても、説得力が弱いのではないでしょうか。
この分野は深い議論が必要なので、論考はまたに改めますが、
家庭の在り方を左右する重要な分野でもあり、
私は極めて関心を持っています。自分に子供ができたからでもありますが…
同時に保守系議員もあまり熱心に取り組んでこなかった分野でもあり、
私はぜひこの分野の正常化にも取り組みたいと思っています。
そういう意味で、先日、親学推進議連立ち上げには、強い期待を示した次第です。
家庭教育支援条例を、ぜひ千葉市でも推進したく思います。
あと一言。
国の資料では、そのほとんどで、「子ども」か「こども」と表記。
静かに、腹を立てていました(-"-)
「こども」は間違いではありませんが、「子ども」はおかしいです。
子供の「供」が、上下関係を感じさせる字だからと、「子ども」にする風潮がありますが、
それは全くの誤解、過ちです。供にそういう意味はありません。
国が率先して間違えるとは、困ります。
ぜひ直してもらいたいと思います。
(参考: http://www5.ocn.ne.jp/~sensei/opinion/kodomo.html
)
最後に、今回のセットアップをご尽力いただいた、
若市議OBの、大島九州男(おおしまくすお)参議院議員です。
ありがとうございました!
参議院議員会館にて、国の政策について、担当省庁職員の方から、レクチャーを受けてきました。