12月20~22日で、沖縄に、遺骨収集に行ってきました。
大東亜戦争で散華された兵士の皆様の御遺骨が、
いまだに野ざらしにされたり、地中に埋まっていたりします。
それを掘り起こして収集し、身元が分かるものは出身地にお戻しするのが、遺骨収集事業です。
国のために戦われ犠牲を払われた先人の皆様の、せめて御遺骨くらいは、
ちゃんと御遺族のもとにお戻しするのが、後世の我々の責務だと感じています。
何としても、少しでも、この実態を知り、御遺骨をお戻しするのに役に立ちたいと思い、選挙の準備が遅れるのもさて置いて、行ってきました。
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20日は、那覇空港到着後、レンタカーですぐ収集現場に直行。
斜面林での収集でした。ここが米軍と日本軍の激戦地だったそうで、当時の壕が残っています。
ひたすら地道に掘ります。
本当に山の中なので、やぶ蚊対策で、長袖を着ます。汗びっしょりです。
早速、関連品を発見! 当時の薬瓶、中身も入ったままで、地中から見つけました。
半世紀、遺骨や旧軍の用具を収集している、すごい人です。
詳しくは野口健ブログへ。
初日の作業終了後、第89連隊軍旗奉焼の石碑に。この連帯は北海道出身。
その奥にある壕を、連帯は抵抗拠点としました。しかし米軍に火炎放射機で、壕内で焼き殺されたとのこと。その壕内にも行きましたが、無惨に壁面の焼けた後が多数残っていました。
石碑の前で皆で整列し、海ゆかばを奉唱したところ、かけていた国旗が写真のように、我々に向かって真っすぐに、くるりと勝手に向きを変え、とまりました。
驚いきました。。
御英霊が、国旗を回復してくれてありがとうと、我々に伝えたのかもしれません。
ここは、本当に生身の人間たちの歴史がある地域。
ぜひこういう地に多くの若者に来てもらい、本当に何があったのかを、体で知ってもらいたいと思います。
自然と、我々後世に生きる人間の使命が、見えてくるはず。そこから、日本再建が始まると信じます。
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21日は場所を変え、泥に埋まった壕を掘る作業。
半分ジャングルのようなところに、かつて旧軍兵士が根城とした、壕がある。
泥で埋まっているので、バケツで泥をかき出す。写真は同志の、小坂英二・荒川区議 。熱心に取り組む姿勢に、さすが同志と改めて思う。
現地では、沖縄1区の自民党衆議院候補、國場幸之助さん
も一緒に作業。この國場さんも、林塾で共に学ぶ同志であり、一級の人物である。
戦後日本は、沖縄に、この戦争の犠牲への総括や供養を怠り、また米軍基地の大半を押し付けたまま、やってきてしまった。
現地では偶然、アルピニストの、野口健さん
とも一緒に作業をすることになる。
野口さんは、最も遺骨収集に熱心に取り組んできた方の一人です。今年の建国記念日にも、千葉での集会でそのことを講演頂きました。その野口さんと、千葉市議の私が、沖縄で出会うのも、不思議なご縁を感じます。
野口さんが講演で「国のために亡くなった人に対して冷たい国はいずれ滅びる」
全く同感です。先人への感謝なき国に、未来への復活はないでしょう。いまの日本の混迷の大きな一因が、ここにあると考えます。
野口さんとは同じ世代でもありますので、一緒に、日本という国の正常化に、頑張りたいです。
こちらの壕でも、随分ご遺骨や遺留品などが見つかったようです。私はこの日は一日、泥の掻きだし。
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22日は、午後のフライトで帰京なので、朝から11時まで参加。
出発前、国吉さんの戦争資料館(野口さんのブログに詳しいです。ぜひご覧を!
)から、当時の機関銃を靖国神社にお返しすることが決まったとのことで、その最後の撮影。
65年の時を経て、その任務を終える銃にも、思わずありがとうと言いたくなった。
11時までは、初日と同じ場所で作業。帰るときは、後ろ髪を引かれる思いだった。
ご英霊に「俺はここにいるぞ!助けてくれ!」と地中から呼ばれているような気がして、本当に申し訳ない気持ちになった。
沖縄、そして各地の遺骨収集を、これからも私はやっていきたいと思うと同時に、
政治としてこの遺骨収集をバックアップする政策を進めなければならないと確信した。
お分かりの通り、この事業は、非常に地道な作業なのだ。多くの人手、特に若い人で、この作業を進めなければならない。国吉さん一人に半世紀もの間、黙々とやらせてきた政治は、その不作為の責任を問われても仕方ないだろう。
その意味で先日、菅総理が硫黄島へ行き「この収集事業は国家の責務」と言ってくれたのは、うれしかった。今後は予算も増え、常駐職員もつくという。
私は民主党政権および菅総理を徹底的に批判しているし、それは変わらないが、この総理の決断は、素直に感謝したい。
拉致問題もそうだが、本当に前進させたいときは、個別の政策で是々非々で臨む。それが現実政治を預かる責任感だと思う。
民主でも自民でもなんでもいい。
国家の責務として、この遺骨収集事業を、もっと推進してもらいたいと、心から思う。
そして私も市議会議員としてできることを、常に模索していきたいと思う。
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なお、2日目の作業後、那覇市内の歴史スポットを少し回った。写真はシュガーロフ。
ここは激戦の地で、なんとわずか1週間の戦闘で、米軍の死傷者2662人、精神疲労者1289人を出した。
もちろん日本側の被害はそれ以上だったのだろうが、精神疲労者をこれだけ出したというのは、よほど過酷な戦闘に精神がやられてしまったのだろう。
先輩方の勇猛果敢な戦いぶり、それがこの地であったのだと感じると、やはり沖縄への感謝の思いを新たにする。
本土防衛のため、少しでも米軍に打撃を与え、時間を稼ぐため、沖縄は盾となってくれたのだ。このことを本土の人間は、決して忘れてはならない。
そして沖縄は、いまだに自立できず、混迷の最中にある。これは沖縄単独の責任だろうか? 決してそうではない。
都合のわるいところは沖縄や米軍におしつけ、自らの繁栄のみを追求し、自立心を失ってきた戦後日本。
この日本を復活させるためには、沖縄の自立は避けて通れない論点なのだ。
つまり、沖縄を総括できるかどうかは、戦後日本が復活できるかどうかと同じだと私は考えている。
これからも、日本の未来を切り拓くためにも、沖縄の未来を考えていきたい。感謝とともに…