田沼新聞13号をだしてすぐ、このような妊婦死亡事件が。
●安心して産める社会に=「誰も責める気ない」-死亡妊婦の夫が会見
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2008102700918
●妊婦死亡:母子対面できず「悲しい」「改善を」夫が訴え
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081028k0000m040078000c.html
ご主人の、感情を抑えた言葉が、胸に迫る。
「何かが変われば『これを変えたのはおまえのお母さんだよ』と子供に言ってあげたい」には、思わず、涙が出た。
いまの医療、医療行政を変える使命は、政治にある。
田沼新聞でも訴えたが、この記事にもあるように、千葉県ほか首都圏は産婦人科医が少なく、「お産難民」が都内に流れ込んでいる。
その背景があり、今回の事件が起こっている。
許せない。
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私がなぜ医療問題にこれほどまで怒りを感じ、今回の田沼新聞でも取り上げたか。
教育再生を中心に訴えていたのに。
それは、医療問題は、システムの問題であり、それは政治・行政の不作為が原因だからだ。
医療制度は急に良くはならない。医師の養成は時間がかかるし、治療技術も急激に発展することもないからだ。
ただ同時に、医療は、急に悪くもならない。少しずつ悪化するのである。医師もいきなり全員が退職するのではないし、患者の問題行動(モンスターペイシェントなど)も徐々に生まれてくるものだ。
つまり、長期的な問題なのである。
言い換えれば、よくよくちゃんと観察していれば、悪化が進む前に事前に手を打てるはずだったのだ。
口当たりのいいことだけ言って、実際は何の改革もしてこなかった政治に、私は強い憤りを感じている。
教育も同じ構造である。
もう、「何もしない政治」は、退場して頂きたい(もちろん金権政治は論外である)。
「地方議員は年中、後援会活動(=選挙活動)ばかりやっている」と、石田・前犬山市長は言った。(http://ameblo.jp/tanuma/entry-10120504682.html
)
議会は年間で、わずかに4ヶ月のみ。他は次の選挙に負けないようあいさつ回りや行事参加ばかりしている。そんな活動に報酬が出ている。
これでは、無報酬の、新人や落選浪人が、かなうわけがない。だから、新しい政治が、なかなか生まれなかった。
(特定の会社に身分を保証されつつ会社のために政治に出るという、癒着型政治サラリーマンなどは、もう政治家とすら呼べない。御用聞きである)。
そういう政治が、我が稲毛でも脈々と生きていることに、深い失望を感じている。
会社/団体/業界などの御用聞き議員が、県政に参画する、大義は何であろうか。動機は何だろうか。
本当に県民のためになるのだろうか。
批判ではなく、本当にわからないのだ。
納得する話を聞いてみたい。
政治改革は、政治家改革。
「何もしない政治」からの脱却を求めて、我が身を賭けて変えていきたいと思う。