先日の投稿( http://ameblo.jp/tanuma/entry-10092227946.html  )に関して、

どうしても言いたいことがあったため、一気に書きました。




「形を追求しても仕方ない」という意見がありますが、私は大反対です。


形こそが、中身(心)をつくる部分は、必ずあります。もちろん形”だけ”では仕様がないですが、それをもって形を馬鹿にしていては、結局中身も馬鹿にして何もしないままでしょう。


そうやって戦後ずっと、何も信じない、何も大切にしない、価値相対主義が蔓延し、いまの心の混迷があると思います。


美しく言い換えれば、何を信じるのも自由だ、何を大切にするのも自由だ、と自由を礼賛もできます。

しかしミスターチルドレンの歌に「様々な角度から 物事を見ていたら 自分を見失ってた」ともあるように、

自由が大事だ、いろいろな視点や考え方が大事だ、多様性が大事だ、そう言っているうちに、

いろいろなものが大事な結果結局何が一番大事かわからなくなる、生き方や判断に自信が持てなくなる、

そうなってしまっていると感じます。




●教育でもそうです。


自由と同じく責任も大事、多様性と同じく絶対性も大事、いろいろな視点も大事だが揺るがぬ一つの視点も大事、そういったバランスがあることを、大人は教えずにきてしまいました。

そのひとつの考え方が「中身が大事で形式は大事ではない」です。これは私には、非常に納得がいかない考え方です。


自由である喜びもあります。しかし、責任を与えられて発奮し、達成した喜びを知ることも、極めて大切です。

多様性を認めることもよいです。しかし絶対に守るべきもの、たとえば正直とか勤労とか約束を守るとか、あるいは法律やルール、そういったものによって育まれる心も必ずあります。


特に初期の子供は、まず基本を形式的に教育するべきで、応用は大人になってからで十分です。欧米でも大学以前は非常に厳しいしつけ教育をしています。

いまは子供中心主義という名のもとに、子供甘やかし主義が蔓延しているのです。学級崩壊が起こる所以です。




私は、いまの教育が崩壊しているのは、大人の価値観の表れであるとおもっています。

「子は親の心を実演する名優である」と倫理法人会でも言います。

私が教育再生を訴えるのは、大人の価値観をよみがえらせたいという思いもあるのです。





形式は大事なのです。形式こそ、心を表すのです。

そして、自由(=反・形式)は、尊重し過ぎると危険なのです。大切な、形式の生命力を、失いかねないのです。



卒業式のときに、皆が私語も話さずピシッとして、厳粛に行う形式を求めるのは、そう行おうという心を作る部分があるのです。それを「強制だ」「自由に逆行だ」と反発するのは、単にわがままの場合もたくさんあるのです。

いま、多くの親御さんが、躾の教育強化を求めていますが、躾という最も形式的なものをしっかり学ぶことこそ、心を育てることになると、感覚的に理解されているのでしょう。


また、「人は外見(という形式)で判断するな」と言いますが、多くの人はそう思っていない。やっぱり人は外見で相当判断できるし、それで概ね当っていると皆思っている。現実を見なくてはいけません。




形式こそが心を育てる部分がある。

これは私が、強く訴えたいところです。



※おわかりと思いますが、形式第一主義ではありません。形式“も”大事と言っております。ご理解願います。