自民党より故郷を愛し、民主党より改革に熱心な」田沼です。

明日は千葉大で、講演です。そのネタにもなる、投稿です。




●渡部昇一先生の、しびれる論文がありました。下記リンクご覧ください。

http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/jimintou2.htm




面白かったのが、チャーチルの言葉。


「20代で革新でないものは情熱が足りない。

 30代でまだ革新なのは頭が足りない」


言い得て妙ですね。グッド!




●私もはじめ、大学に入ったころは、社会正義に燃える、強い革新派でした。メラメラ

なにせ、東大に入った理由は、「外交官になって世界平和のために働く」ためでしたから・・・


しかし、すぐに、人間不在の論議への疑問や、そもそも正義に酔っている器の小さい人間の多さに辟易し、

自らの実感だけを信じるようになりました。実感主義と言っていました。



いまなら、その実感は、日本人らしい心や文化がベースとなっていること、

それらを守る保守こそが必要であることが、理解できます。
でも当時は必死だったんですね。ぶれず、流されず、自分の言葉や思考を、持ちぬくために・・・



そう、政治への関心よりも、私はまず自分が好きな本や映画など、文化を追求するようになりました。

まず、既存の政治論や政治評論などがつまらなかった。

同時に、数少ない、しびれる評論を書いていた評論家の、福田恆存や小林秀雄は、もともと文芸評論家だったことから、なんとなくですが、優れた政治的識見を持つには、深い人間観や理性を持つ、”個”を養わなければならない、と感じていました。



身の丈に合わないことはできないという、諦めというか世の真実も、徐々に知っていった気がします。

「世界平和のために国連で働く!」

「恵まれない家庭のために学費削減を!」

「アフリカの貧しい子供のために寄付を!」

そういった美しい立派なことは、できればいいですが、人間はそこまで大きく強くない。特に自分とかかわりの遠いものに対しては。

逆に無理にやろうとすると、自分が破綻するか、他人に不寛容になり独善的になります。このことを徐々に、悟っていきました。

人間のエゴを知り、それが否定し得ないことを悟ってからは、地に足の着いていない議論とは徹底的に戦うか離れるようになり、やはり政治まっすぐ君たちとは距離を置くようになりました



また、私自身の生い立ちとして、本当に普通のサラリーマン家庭で育ち、ずっと公立の学校に通っていたことも、脱・革新に一役買っていると思います。高校時代には週1,2回程度、新聞配達のアルバイトをやっていました。合唱の部活でも、大人との接触も結構ありました。また浪人という苦難もありました。


そういう経験からでしょう、大学入学時に聞かされた立派な革新理論に、まずは驚き、そして徐々に”暇なひとたちの議論”と感じるようになりました。私はもっと具体的で卑近な、自分の生活や自分の内心を養うのに精一杯でした。



そうやって、実感のみに頼り、革新理論の非人間性に気づいていったことで、

私は少しずつ脱・革新し、逆に伝統の価値に気づいていきました。



伝統とはすなわち、生き方としての文化慣習、家族、先祖、故郷、歴史、自然、言語など、、、日本を日本とするものです。それを守らねばならない。

そして人間、およびそのエゴを、ちゃんと目をそらさずに踏まえて、責任をもった現実的な提案ができなくてはいけない。

そこに私がたどり着いたとき、それを世間は保守と呼んでいました。私自身が声高に「保守だ!」と叫んだわけではないんです。

だから私は、「改革する保守」「自民党より故郷を愛し、民主党より改革に熱心」と自称するようになった。

そんな感じです。



以上が、私の保守・革新遍歴です。

しかし実は私は、自分が保守か革新か、あまり興味がありません。それで色分けをするつもりもあまりない。

私は愛国者、愛郷者ではありますし、それを世間的には、保守と言うのかもしれませんが、

なんにせよ、よい千葉づくり、立派な国づくりを、していきたいだけです。



●ところで関連して、いつも思うのですが、、、

自民党の立党宣言は、素晴らしいです。


ご存知ない方は、ぜひご覧ください。

http://www.jimin.jp/jimin/jimin/rittou/index.html



特に政綱は、第一に「国民道義の確立と教育の改革」を掲げています。私も全く同意です。



自民党は、この精神を実行できていないこと、忘れてしまったことに、問題の本質があると思います。

ある識者の方は、「自民党に何より欠けているのは、強靭な意志力だ」と言っていました。同感です。

宣言書はあるけど行動が伴っていない。仏作って魂入れず、でしょうか。

福田政権になってその傾向が一層進んだようにも感じます・・・


※なお、民主党は、その原点というべきもの、綱領も政綱も結党理念も、見つけられませんでした・・・・感動のない、規約のみ。

 どうしてでしょうね?



●逆にいえば、これからの時代に必要な政治は、「意志力のある政治」ではないでしょうか。

私が自分の頭の中からだけで産み出した「リーダーの政治」と、重なるものを指している気がします。

http://ameblo.jp/tanuma/entry-10076565329.html


自民・民主の垣根を超えて、意志力のある政治、リーダーの政治、本気の政治が産まれる日まで、

私も自らの意志力、リーダー力、本気力を、磨いていきたいと思います。




せっかく天に与えて頂いた、4年間の修業期間。

3年後の当選などという近視眼ではなく、またもっと近視眼な国政や政局にとらわれることなく、

我が人生全体にとって重要だったと思える修行をしたいと思っています。