最新のSAPIOで、小林よしのりさんが、ゴーマニズム宣言にて、私たちが開催した沖縄シンポを扱っています。


※SAPIO

http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/solrenew_magcode?sha=1&neoc=2300101108&keitai=0


※前回投稿

http://ameblo.jp/tanuma/entry-10054317637.html

http://ameblo.jp/tanuma/entry-10055856395.html


go-sen-okinawa

一言で言うと、我々のことを批判しています。

「沖縄のことなんかどうでもいい保守」とされてしまっています。



というのも、沖縄県民の心の傷について真摯に考えている人がいない、

沖縄県民代表だった宮城さんの思いに誰も気づいていない、ということです。



日本軍無謬論(日本軍は悪くない)、

本土は裏切っていない論(戦後、本土は、沖縄を放ったらかしにはしていない)、

それらに対して、小林さんは反対しています。





私は日本教育再生機構、教科書改善の会の事務スタッフですが、

同時に一政治家志望者でもあります。

私は小林さんの意見に概ね賛成です。



やはり私は、大田中将の遺文、

「沖縄縣民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

この言葉に、後世、真摯に本土が応えてきたとは思えません。
それは前回の投稿で記したとおりです。歴史教育しかり、復興政策しかり、外交交渉しかり・・・



日本軍は悪くなかった、かもしれませんが、

しかし本土は裏切ってはいない(同じ単一の敗戦国だから)という意見は、実感としては違うようにおもいます。

結果的には、裏切ってきてしまったのではないでしょうか。



やはり沖縄は特別です。

確かに本土も敗戦で苦しみました。原爆、占領政策、戦犯処刑、、、

しかし沖縄では、地上戦を行い、実に住民の4分の1が亡くなっているのです。

そのような奮闘と犠牲の精神こそ、我らが誇り、我らが感謝を捧げねばならない対象ではないでしょうか。

ちょうど英霊に対し感謝の誠を、後世の我々が捧げねばならないように・・・



本土と沖縄という対立軸ではないはずです。

いかに立派な日本人として、日本精神を持って、大和魂を持って、実際に戦ってくれたか。

その、見事さの、問題です。誇り高さと犠牲心の大きさの、問題です。

だからこそ、命を懸けた軍人への慰霊は、敵軍の攻撃で犠牲になった一般国民への慰霊以上に、重要とされているのです。靖国神社が大切な所以です。



沖縄の重要性は、日本近代史上初めて、軍民一体となって戦ったことです。

民間の犠牲の大きさを、見逃してはいけません。そしてその心の傷を軽んじてはいけません。

実際の戦闘下で果敢に戦った沖縄県民と、実際には決戦をしていない本土国民の間には、はるかな開きがある、

そのことには、当時の国民も反対しないと、私は信じます。





ということで、私の意見は小林さんに賛成ですが、

おそらく八木理事長も同感と思われます。

もっと言うと、私は人が良すぎるのでしょうか、ゴー宣で取り上げられている登壇者の方々も、

本質的には小林さんと分かり合えると思っています。

心のある保守、人間味のある保守、そういう思想というか態度が、社会全体に広がることを願っています。



沖縄の問題をしっかり歴史教育の中に位置づけること、

沖縄県民の犠牲があるからこそ今の日本の繁栄があることを忘れないことこそ、

自虐史観から抜け出すために、とても重要だと思っています。



私自身、勉強を重ねながら、

そのような教育が実現するよう、頑張っていきたく思います。




※なお、次に発売される、雑誌「正論」の2月号に、この沖縄シンポの議事録が、

 相当なページ数で掲載されます。ぜひご覧下さい!

※また上記見解は、全て私個人のものであり、機構および改善の会とは何も関係ありません。