大河ドラマ「風林火山」が、先日、最終回を迎えて、終わりました。


第4回川中島の激戦で、山本勘助が倒れるときをもって、終わりでした。


とても楽しませてもらった、よいドラマでした。終わってしまうのが残念です。

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内野聖陽の演技のうまさには、毎回、惚れ惚れしていました。


猛烈な、一瞬一瞬が戦いである感覚。


男なら、ああいう男でありたい、そんな風に思わせてくれる、勘助がそこにいました。



また、市川亀治郎の演技も、作為的でありすぎて、かえって私にははまりました。


内野もそうですが、目の力を非常に重視した、演技やアングルだったなあと、感じていました。


やっぱり目は口程にものを言う、ですね。


彼の演ずる武田信玄。やはり大きな器です。


最終責任は自分がとるという強い覚悟はありながらも、部下を信じ、大きく委ねる。


これは、言うほどに簡単なことではありません。


私も今の修行中、一番思っているのが、自分の器を広げること。


ですので、尚更なのでしょう、いろんなシーンで勉強になることが多かったです。



そしてGacktもよかったです。


人物に浸りきっている、あのナルシズムも、美しくさえあると感じました。


(※参考;謙信公祭のガクト http://www.j-times.jp/news.php?seq=1141  )


世の中は美しさだけではやっていけません。特に乱世はそうです。


でもだからといって、正義を、義を、美しさを馬鹿にしてはいけないと、私は思っています。


それらがはかないからこそ、大切にしなければならない、そう思っています。



その意味で、時折表れた、上杉謙信の「常在戦場の心得」。


これはしびれました・・・ ( ̄ー ̄)


特に、戦争という部分がある、政治に携わっている人間として、胸に刺さる言葉ばかりです。


まさに「大切な言葉」でした。




運は天にあり
鎧は胸にあり
手柄は足にあり


何時も敵をわが掌中に入れて合戦すべし


死なんと戦えば生き、
生きんと戦えば必ず死するものなり


運は一定にあらず

時の次第と思うは間違いなり


武士なれば、我れ進むべき道はこれ他なしと、
自らに運を定めるべし


(以降はおそらくテレビ版のみの言葉)


我が軍の旗印は兜跋(とばつ)毘沙門なり。

我が軍勢は降魔の軍なり。

世の悪しき魔を断つ者と心得よ。


敵陣へ進軍する際は、この懸り乱れ龍(かかりみだれりゅう)の旗を掲げよ。


我に刃向かうものは 神に背くものと知れ。

臆することなく 突き進め。


これより天道に従い、武田晴信を成敗しに参る。

皆のもの! いざ、出陣じゃ!


しびれますね・・・神がかっています。

この絶対の信念があるからこそ、強さが生まれる。

経営者や政治家といった、リーダーが持たねばならない、不撓不屈の強さなのでしょうか。


断じて行えば、鬼神も之を避く。

虎穴にいらずんば虎児を得ず。

信ずれば成り、憂えれば崩れる。


それらと同じことを指すのでしょう。


まさに武人の、常在戦場の心得。私も、いつも胸に置いておきたい言葉です。