今日は9・11。世界秩序が変わった日です。



直接それと関連はありませんが、外交関係の投稿を。

再びの引用となりますが、西村代議士の、別の投稿も、アジアに関する私の想いを代弁してくれていました。


-------------------
●総理の歴訪ルートと防衛省の人事騒動に思う
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=307

(略)
 安倍総理は、インドで、東条英機元首相等A級戦犯を裁いた東京裁判において、ただ一人無罪判決を書いたパール博士のご子息と会見した。これは非常に重要なことで評価すべきことである。
 そこで、インドでそれをするのなら、もう一つあったと、改めて惜しむことがある。
 それは、何故八月十七日からインドネシア訪問を始めなかったのかということである。総理は日程を二日繰り上げるだけで、
八月十七日のジャカルタにおける独立記念式典に立ち会うことができたのである。
 
 この八月十七日は、インドネシアの独立記念日である。
西暦一九四五年のこの日、ハッタとスカルノは、ジャカルタでオランダからのインドネシア独立を宣言した。その日付を、彼らは西暦で記さずに皇紀二六〇四年八月十七日と記したのである。手書きの独立宣言文の日付は「17・8・04」となっている。
 この独立記念日に、インドネシア人は、独立に日本が果たした役割を改めて顧みるとともに、この日から始まる激しいオランダ軍との独立戦争に多くの日本兵が参加してインドネシア独立のために戦い死んでいったことを思い起こすのである。

 インドネシアからインドへ抜けるこの回廊は、我が国のシーレーンであるとともに親日的な地域である。
 この回廊が不安定になれば、我が国にエネルギーが届かず、我が国経済は崩壊する。従って、この回廊を総理大臣が歴訪したことは極めて重要なことである。
 マスコミは、インドにおける二酸化酸素排出量の抑制問題に焦点を当てて報道しているが、私にとっては、これは名目で、我が国の総理大臣がインドネシアを抜けてインドへ入ったという事実を重く評価したい。総理外交に求められていた国家戦略が現れてきたと見たい。(以下略)
-------------------



「ムルデカ17804」
http://www.nipponkaigi-tokyo.com/merdeka/home.html

インドネシア独立の物語を、映画にした、傑作です。
先日視聴し、大変感動しました。
ぜひ多くの方にも、観て頂きたい作品です。



西村先生の書いている通り、17804とは、日本の皇紀。
国家にとって最も大切な、独立記念日に、日本の暦を付記してくれていることは、大変うれしく、誇りです。



そしてまた、そうなるのが自然であるくらい、日本とインドネシアが深い関係にあった証しでもあります。
日本兵士はインドネシア独立のために、大東亜戦争後も何の利害もないのに、オランダ軍に対し共に闘い、死んでいきました。


考えてみてください。祖国日本は壊滅状態です。一刻も早くまずは帰国し、国内体制を立て直さなければならない。そのときに、なぜインドネシアの手助けをするのでしょうか?そんな余裕はあったのでしょうか?


いや、なかったのですが、しかしではインドネシア人は独力でオランダ兵に立ち向かえるかというと、明らかに無理。武器もない、訓練もされていない、組織もできていない。そんなインドネシア人を見殺しにして帰国することが、できなかった日本人がいたのです。

「義を見てせざるは勇なきなり」
「至誠にして動かざるもの、いまだこれあらざるなり」
ゆえに、自らの命すら差し出して、インドネシア人の祖国独立を応援したのです。



私は、そういう歴史があったこと、そういう日本人がいたことに、深い感謝と誇りを感じています。

そしてそれを正当に評価してくれている、インドネシアという国に、強い親愛の情を抱いています。

日本とインドネシアの友好関係は、彼ら日本軍兵士の犠牲の上に成り立っていると言っても過言ではないでしょう。
日本はそのためにも、インドネシアとの関係を、なんとしても大切にしなければなりません。インドネシア独立の為に死んでいった英霊に報いるためにも、共に手を取り合っていかねばなりません。



西洋支配からの独立という、共通の使命のために、アジア諸国と共に手を取り合った時代があった。いや、インドネシアとは、今もあると言えるでしょう。
日本も当時は、独立国ではありましたが、やはり西洋列強からの圧力を日々感じ、その中でかろうじて独立を保ってきた、いうなればアジア諸国とは同胞でした。だからこそ、共に手を取り合えたのでしょう。

この日印関係と同様の関係は、他のアジア諸国、台湾、フィリピン、インド、マレーシア、ミャンマーなど、多くの地域にあります。インドのネルーは、日露戦争での日本の勝利に、涙したと言います。


日本は、それらの同じ歴史を持つアジア諸国と共に、アジアの共栄をつくっていかなければならない。そのために日本はもっと貢献をしなければならない。そう、田沼は確信しています。

それが安倍首相の「主張する外交」だと、私は理解しています。
そして私は、日本外交は、アジア共栄、そして21世紀は東洋の世紀だと、主張し行動せねばならいと、考えています。



そんなことを考えた、総理のアジア歴訪でした。