人気の、「ごまめの歯ぎしり 衆議院議員河野太郎の国会日記」から。


確かこのMMは、議員では日本一の読者数だったはず。
全文掲載に限り転載可、という、太郎さんらしい方針により、ちょっと長いが引用する。


===========================================================
参議院選挙は歴史的な敗北となった。


執行部が現行の年金制度に問題はないと言い切って選挙をやったのだから、こうなったのも当然だ。
年金制度そのものが国民から全く信頼されていない中で、年金番号の問題が生じたのだから、国民の年金に対する不信感は極まってしまった。
もし、制度そのものは信頼されていれば、きちんと事務処理をやりますという問題ですんだかもしれない。


ナントカ還元水にはじまり、政治と金の問題に自民党が後ろ向きだったことも深く反省しなければならない。
政治資金団体の領収書公開という法改正には明確にNOという審判が下った。
もし、領収書の公開ができないような政治活動をしている政治家は、今後、退場を迫られることになる。


しかし、最大の要因は、自民党が官僚との癒着を断ち切ってこなかったことによる政策の不安定さだろう。
たとえば、今年の通常国会で、全ての公営ギャンブルに関する法改正が行われた。しかし、公営ギャンブルのあがりが国庫に入らず、天下りが跋扈する外郭団体が予算の枠外で好き勝手に金を配れる構造が全て残された。
外郭団体と天下り、そこに関連するお金の整理が全くできていないという野党の指摘は正しい。
地方への補助金も税源委譲すべきものが役所の抵抗で残されている。
年金保険料の事務費流用に関しても、使途を別表で明確にしろという政調副会長としての僕の戦いは、厚生省と厚労族の壁に跳ね返された。
こういうものを本気で整理しなければ、自民党に明日はない。


負け惜しみのように聞こえるかもしれないが、この敗北には喜ぶべきこともある。
参議院の過半数を野党が握り、野党議長になることで、国会内の民主主義が復活する。
政府案と野党案が国会でぶつかる。
与党自民党も、党本部の中での閉ざされた部会での議論ではなく国会のオープンな場での議論を展開していかなければならない。
官僚が作った案を部会で一時間だけ議論して承認というこれまでのようなイカサマ党議拘束では、自民党は滅びる。
政府は自民党内の議論に関係なく閣議決定をして、自民党を説得するという新たな方式を確立しなければならなくなるだろうし、
そのためには大臣以下がもっとリーダーシップを発揮しなければならなくなる。
そのためには官僚は省庁ではなく、政府として採用し人事異動させなければならなくなるし、キャリアだろうがノンキャリアだろうが関係なくなる。
今後の自民党は、部会の閉ざされた場で何かいうのではなく、国会で議論して必要なら与党が修正をするようにしなければならない。


今の自民党と民主党の違いは、官僚との癒着の程度だ。
これをきちんとただした上で、政策軸で再編された二大政党が望ましいと思う。
===========================================================


太郎さんの意見と、同感である。
先日、私は、官僚を変えられる政党が必要だ、と書いた。(http://ameblo.jp/tanuma/entry-10038683331.html
逆説的だが、官僚と政治が癒着することで、官僚は温存され、変わらない。


その意味で、前回官僚の政治任用についても触れたが、民主党のやり方には期待している。癒着ではなく、堂々と官僚とともに歩いていける政党になってもらいたいと願っている。


しかしながら懸念点がある。連合会長が勝因を「敵失」と自ら言ったように、勝利に調子付いて批判精神旺盛にしていては、今後は危ないだろう。参議院では第一党。与党精神、責任政党としての振る舞いが求められる。

「また民主党が(かつての社会党のように)反対政党化している」と国民に思われないことが大事だろう。


その裏表だが、党として致命的なのは、政権交代という手段しか理念がないという本質だ。官僚の政治任用も、手段でしかなく、自民党がそれをやってきたら(それだけ党改革が進めば)、また違いが見えなくなる。



敵失のみに頼り、理念、すなわち日本の未来を語っていない。そこをどう変えるか。

ここがポイントだ。

安倍首相は「戦後レジームからの脱却」と明確に言い、実際そこに近づくために具体的な改革を次々に実現させている。そこにどう対抗や賛同をするのか。
敵失がないときでも勝てる政党になるためには、やはり理念、「旗」を掲げる必要があるだろう。



いままで民主党に理念が見えなかったのは、論理的な帰結でもある。政権交代が第一理念である限り、政権与党の揚げ足取りが、政策価値判断よりも、重要となってしまうからだ。実際、そういった局面が多々あったことは、多くの国民の記憶にもあるはず。自分の首を自分で絞めているようなもの。
「(政権交代で)政治をクリーンにする」ではなく、「日本をこうする」というメッセージが必要ではないか。





ひるがえって自民党だが、太郎さんの書くとおり、問題の本質は、党の体質にあると思われる。
候補者選びもそう、政官業の癒着もそう、派閥政治もそう。
自民党はまだまだ「ぶっ壊れて」いない。


本当の意味での、新自民となり、安倍自民となりきれるか。
そのためにも、党改革を進める、幹事長が重要だろう。
私は「仲良し内閣」が悪いとは思わない。「老壮青のバランスが必要」かもよくわからない。
ただし、絶対的に安倍を支え、そして崖っぷちの自民党を救う、慣例を破り「聖域無き党改革」を断行するという、そういう人が幹事長になることは、最も大切だと思う。





私は思う。やはり、自民、民主という枠組みは、いけない。
「国会議員には、政界再編をする義務がある」と言いたい。


もちろん、政策本位で動く、妥協のない、そんな政党が多数あり、それらが連立を組む形でもよい。そういう諸外国もある。
しかしながら、安定性は、やはり大幅に減る。また、どうしても玉虫色の法案となる。


責任を持って安定した政権運営をすること、そして玉虫色ではない明確な法案を出すこと、そのために一番大事なことは、同じ理念や政策をもった人々の間で、不要な対立をしないことだ。

なるべくなら、別の党にならない。もしなっていたとしても、連立する。あるいは連携も積極的に応じる。


政治家には、理念を訴える義務もあるが、それを実現する義務もある。
「良いことばっかり言っててもできなきゃ仕方ない」のもまた真実なのである。
いまの自民・民主の2大政党が、本当に不要な対立をしていないとは、到底思えない。民主はもちろん一枚岩ではないし、自民でも同様。



太郎さんは「政策軸で再編された二大政党が望ましい」と言うが、私の見解は、国会議員には、政策軸での二大政党を作る義務がある、と思っている。



与党だからといって理念もなく自民党にいる議員も罪。
真正保守であるのに民主党にいる議員も罪。(自民党の問題かもしれないが)
もちろん、執行部への批判ばかりで自らの選挙だけを考えている議員は大罪である。
こういったことを、国民がしっかり見逃さないことが、議員の政党選択を変えていくだろう。



そういう時代を、私も作っていきたいと、思っている。




P.S.
他にも面白い記事があったので、ご紹介する。


●猪瀬直樹MM「参院選・マニフェストの読み方」(高瀬淳一)
http://www.inose.gr.jp/mailmaga/mailshousai/2007/070725.html


必ずしも高瀬氏の意見全てに、同感ではない。たとえば参議院改革への意見は、私はまだわからない。
しかし、情報政治学から見る、特に前半部分の指摘は、面白いと感じた。


「素直な政治信条と、選挙スローガンは別」

「小泉改革を見た後、「改革」や「維新」を掲げても、迫力のなさを国民が感じるだけ」

「人は自分が聞きたいことを言ってくれる人を理解者だと思い、支持しがち」




●斉藤精一郎氏「参院選の対立軸は明快――『成長への挑戦』か『生活の安全保障』か」

http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/saito.cfm?i=20070723c1000c1&p=1



私も経済学を若干かじったものとして、今回の財源論争は面白かった。コンサルティングにおいても、数値計画があって初めて具体性が湧いてくる。

今回の各党の数値の実効性や私としての賛否は敢えてコメントしないが、有権者としてはよりわかりやすかったと思うし(ある意味ではマニフェスト以上に)、経済政策のスタンスを択べるのはよいことだろうと思われた。

ただ、斎藤氏は「明快」「画期的」と言うが、実際に有権者がこれを重視したかは、不明だと思う。


「憲政史上初・国民が経済政策のスタンスを選ぶ選挙」