前回投稿からのやりとりに続く、さん(2007-07-15 23:45:48)へのお答えです。
http://ameblo.jp/tanuma/entry-10039487786.html#c10057989554
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一見ささいな、しかし極めて根本的な、視点の違いを感じます。
私はネットでの議論は好きではありません。自他ともに、言いっぱなしの評論家となるのは、嫌いだからです。ちゃんと解決したい。
今回も、本当はもう個別によく話しを聞きじっくりお答えしたほうがよい、私信に近いレベルですが、たかはしさん同様、もう一度だけお答えします。推測含みとなるのをご容赦下さい。
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自国の歴史的歩みをたどる施設に、他国の犠牲者を展示すべきとは、私には率直に言ってピンと来ません。
その根本は、先の戦争を含む日本の歩みが、間違いであったと、秋月さんが考えられているからでしょう。
私はそうは言い切れないと考えています。
そこが違いの本質と思われます。
★①
もちろん他国の犠牲者はいます。戦争には敵がいるからです。しかしそれを都度都度展示していたら、自国の歴史の流れも、その正当性も、説明できません。
たとえば遊就館では日露戦争の展示も充実していますが、そこでロシア側の犠牲者のことを、同等に展示すべきなのでしょうか?
おそらく答えはNoでしょう。なぜなら、日露戦争は祖国防衛のための、正しい戦争だったと、私たちの多くは考えているからです。
つまり、「他国の犠牲者を展示すべき」と考える背景には、先の大戦は間違いだった、悪だった、という見方があるのだと思われます。
目を外に向けても、同様です。
先に引用した、ハワイのアリゾナ記念館で祀られているのは、もちろん自国の兵士のみです。また私はイギリスにも行きましたが、ごく小さな村にも、その村出身で出兵し亡くなった人の慰霊碑が、村の中心にありました。もちろん他国兵への慰霊の言葉はありません。
私は寡聞にして、諸外国において、自国の犠牲者慰霊の場で、敵対した日本人犠牲者への慰霊をしているためしを聞いたことがありません。
考えてみれば当然です。たとえ一時的にせよ、敵対関係だった相手です。それを自国の犠牲者と等価にできるはずがありません。もちろん、自分たちとの歴史的つながりもないし、ゆえに感謝の念もあるはずがない。
やはり、「他国の犠牲者を展示すべき」という発想が生まれる背景には、先の大戦は間違いだった、他国を敵と見た日本が間違いだった、という史観があるように思われます。
★②
秋月さんは、先の大戦を侵略戦争と考えているため、遊就館に他国の犠牲者が展示されていないことに反発があるのでしょう。侵略の事実を隠している、洗脳している、戦争賛美施設だ、と感じるのでしょう。
私の見解は「先の大戦が、侵略戦争であったか、自衛戦争であったかは、どちらとも言い切れない」です。むしろ、両方の面があったのではないでしょうか。
戦争には、聖戦も侵略戦争もありません。あるのはただひとつ、戦争です。それに種類などありません。完全な自衛のための美しい戦争もありませんが、完全な侵略戦争もない。ゆえに戦争は、軽々しく、否定も礼讃もできません。
もし戦争の正当性を話し始めると、歴史的経緯にさかのぼらなければなりません。経済封鎖をしハルノートを突きつけたアメリカのせい、いや満州事変を起こした日本のせい、いやペリーに無理やり開国させたアメリカのせい、、、
話をすると長くなりますが、やはり何にせよ、簡単な結論を出せません。
しかし自衛という「心理」があったのは事実。若者たちの遺書を読めばわかります。私の感動はそこが源泉です。
★③
むしろ私は疑問があります。もし秋月さんが、本当にすっかり侵略戦争と考えられているなら、秋月さんは先人の何に対して、感動するのでしょう?
参拝や慰霊は、感謝から生まれます。私の投稿でも、何度も「感謝」という言葉を使っています。
何に感謝するか。
私の答えは、祖国防衛のために働いてくれたということに対してです。祖国防衛とは、自衛ということです。「日本を守る」「故郷を守る」「家族を守る」ということです。
もし「日本が悪いことをした」とだけ全面的に思っていたら、先人への感謝も生まれるはずがありません。「あの戦争は侵略戦争で悪だったけども軍国主義国家にだまされた犠牲者たる兵士たちがかわいそう」という同情しか、生まれません。
しかしそれはウソです。後世の見方です。遺書を読めばわかります。若者たちはだまされていたのではありません。相当に冷静に客観的に、自分の役割を了解しています。
現代の私たちよりもはるかに透徹した知性を持っている若者も多数見られます。文を読めばわかります。
若者たちが信じていた、祖国防衛という正義。それは実際には100%正しいものではなかったかもしれません。しかしそれを純粋に信じ、それに殉じた多くの若者たちがいた。後世の我々は、そのことに、感謝と感動をするのではないでしょうか。
祖国防衛という面を完全に否定し、”だまされた若者への同情”だけを抱いた参拝では、若者の心に真に迫れていると言えるのでしょうか、真の供養となっているのでしょうか。
それこそ、かわいそうではないでしょうか、、、
★④
民衆は、直感で、戦争には悪も善もあることをしっています。侵略戦争の部分もあったが、自衛戦争の部分もあったことをわかっているのです。洗脳から常識に戻ってきているのです。
だから参拝者が年々増えているのではないでしょうか。
もっと不思議なのが、「遊就館は洗脳施設」という意見です。それを洗脳と言うのだったら、世の中の全ての展示施設もメディアも情報も本も、洗脳用です。何の情報を報道するか自体が、発信者の恣意的な意図で、つくられているのですから。
主観のない施設など存在しない、絶対公平なメディアなど存在しないのです。何の情報を取り上げるかだけでも、主観的で不公平です。これも、皆が知っている、常識ではないでしょうか。
常識からすると、秋月さんのご意見は、やはりピンと来ない気がします。
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ご意見にあまりピンと来ないのは、私がまだ存じ上げていない、文章だけではわからない、秋月さんのご意見やご体験があるのだと思います。それを対話の中で了解できれば、話も通ずるかもしれません。
この手の話題は、慎重丁寧な話が必要ですので、私もネットでの発言や議論は最小限にしたいと思っています。よってコメントにはお答えせず私信のみお答えすることにさせて頂きます。
本来私信に近いレベルですので、投稿すべきか若干躊躇がありますが、他に手段が無いため掲載します。
以降は個別にお話させて頂ければと思います。なおその際、実名でのご連絡頂ければと思います。
お互い言いっぱなしではなく、ちゃんと分かり合いたいですので・・・
メール; tanuma@tanuma.info