田沼隆志です。

今日は初めて、同志たちと今後の相談をしました。

様々な議論の末、7月7日の千葉市空襲の日に、一日だけ、演説をすることになりました。

百の議論より一の行動から」です。



7月7日は、七夕です。1945年のその日、千葉市は空襲を受けました。七夕空襲ともいいます。

129機のB29が千葉市に襲来し、真夜中の千葉市は中心部のほとんどが焼失しました。死傷者は1200人以上。200ヘクタール以上の街並みが被災しました。当時の人口は9万人ほどだったと言いますから、現在で言えば1万人規模の災害です。
稲毛も、軍事学校などがあったため、多くが被災しました。今の区役所や京葉工業高が焼け野原となり、SATY付近や駅の西口も被災しました。61年前の今日、ここ稲毛にB29の焼夷弾の雨が降ったのです。火災は夜が明けてからもおさまらず、千葉市のほとんどの人々が帰る家と財産を一夜にして失いました。


61年前のこの日に、多くの方が亡くなられた、そのことに思いを馳せ、お祈りする。

そのことが、今の私たちが慈しみの心を取り戻す、きっかけになると思っています。

温かい、信頼感のある社会を、稲毛、千葉に作りたい私としては、7月7日は放っておけません。

しかもこのことを知らない方が多い。稲毛区に住んでいても、私の両親と同様、他地域から来た方が多いため、稲毛の歴史を知らない方が多い。だったら尚更、歴史を伝える必要があると、考えました。


歴史の情景を想像し、先人たちの考え方や生活を感じ追体験することは、先人への共鳴を生みます。

「おじいちゃんはどうしておばあちゃんと結婚したの?」「お父さんはどんな風に考えてぼくの名前を決めたの?」

そういったことを、自然にたずねて、自分とつながりのある人の考え方や生活を想像すること、そして彼らの生活の延長上に私たちが生きていること、それを感じたとき、私たちの心に、いつくしみの心、感謝の心、あるいは先人たちとの一体感や親近感が、生まれてくるのではないでしょうか。


特に過去の人は、本来「死人に口なし」であるため、先人たちは自ら話してはくれません。私たちが自ら、先人たちの生き方を追体験しに、出向いていかねばならないのです。それが歴史教育です。歴史体験教育といえば、より正確です。


歴史と呼ぶ対象は、もちろん、空襲のような苦しい出来事だけでなく、たとえば親の結婚式やご先祖様の仕事ぶりなど、他のもっと明るい出来事でも構わないと思います。

かつての人々はどう生きていたのか、どのような人間だったのか、なにを後世の私たちに願ったのか。そのことを知ることは、人の心が少しずつバラバラになっている現代において、実はとてもとても大事なことではないかと、私は思っています。

私はそんな教育が実現するために、すなわち人の心がすさまない温かい街を作るために、政治活動をやっていきたいと思っています。



さて、とはいえ、時間がない。組織もないので、全て手作り。目標を決めたとたんに、追いつめられてます(^^;

平日は仕事があるので、極めて時間がないです。本当にできるだろうか…

この後が勝負だ!