偉くなくとも正しく生きる

偉くなくとも正しく生きる

人生「ぼちぼち」と

謹んで新春の御慶びを申し上げ奉る次第で御座居ます。

令和8年・西暦2026年・皇紀2686年の幕開けです。


元旦・2日と仕事はじめで8:00から勤務いたしております。


今年に賭ける意気込みは特に設けず、至って平穏無事な一年であることを望みます。

寧ろ平穏無事である方が40代になると難しくなりますからね。


本年の予定として

1月23日 通常国会冒頭の衆参両議院で開催される高市早苗内閣総理大臣の施政方針演説含めた政府四演説傍聴

2月 利府町長選挙参陣

4月21-23日 埼玉西武ライオンズ対福岡ソフトバンクホークス・千葉ロッテマリーンズ対オリックスバファローズ・横浜DeNAベイスターズ対阪神タイガース観戦

8-9月 関西旅行

時期未定 横浜市会・青ヶ島村議会傍聴


そんなところでございまして、今年もはじまりまして日々を綴って参りたいと存じます。

曇ると天気予報では言ってたのに朝快晴の日、今年も大晦日となりました。

振り返ることはないけれど、コンプライアンスなどによって『息苦しさ』を年々感じるようになったから来年もそれ相応のルールがまた出来ていくのだろうね。

視力が今年はじめてだけど、両目とも1.0を下回ったことに内蔵数値以上に愕然としましたが、来年はより一層老化が進むんだろうな。

令和8(2026)年は
1月に通常国会冒頭行われる高市早苗内閣総理大臣の施政方針演説を聞きに国会議事堂へ傍聴しに行くのと、
4月に千葉マリンスタジアム・横浜スタジアム・西武ドームに野球観戦に行くって予定は決めました。

あとは風に流されながら成り行き任せで生きていきます。

至って普通の年になりそうだし、なって欲しいなと思う年の瀬です。

よいお年をお迎え下さる用心からお祈り申し上げる次第でございます。
1年の振り返りは月の前半に終わらせて何か今更書くコトあるかと思えば特にこれと言って無し。16年ぶりに一般職正社員として勤務して1年。最近、帰りの電車が段々遅くなってきて、日々辛さを感じる私服勤務のサラリーマンとして今日が仕事納めでした。ゆとり世代・Z世代の中でゲーム世代のオジさんは奮闘しましたが、職場での宴会も食事会もない、仕事終わって誰ともつるまないって現代人の環境に慣れましたが、付き合いってヤツは世代が下るとドライになりますな。社会人最初の職場が根性論精神論で全てを解決出来る職場でホント辛くて嫌でしたが、あの経験はしといてよかったと今はよかったと思います。ゴリゴリの根性論・精神論の職場から規律重視の2020年代の職場環境まで振り幅があったが故に何とか適応しようと頑張れるもんで。
令和7年・西暦2025年・皇紀2685年も最後の月。

押し迫ってから色々振り返るとバタバタでしっかり振り返れないので今のうちに。

①仕事
昨年後半ゴタついて転職検討⇨苦難の転職活動⇨転職入社⇨研修中に会社解散の全員解雇⇨再就職活動⇨内定で終わりましたが、今年は年明けに入社して今も大変ですが、仕事続けて早一年になります。
永らく時給勤務で無理して出勤してたものから月給に変わり休みも増えたので随分ゆったりしてます。

②スポーツ観戦
2020年以降【佳作】になりましたが、今年も3度泊まりの首都圏NPB観戦遠征し、仙台と利府の二軍戦も幾度か参戦。
中でも7/30-8/2には千葉・横浜・所沢で4試合観戦…久々のビールでした。

③旅行
2025年は1/1-2に皇居一般参賀に往って以来、3月に東京都の区議会とNPBのOP戦観戦、先述の7-8月旅行、9月に1人ダブルヘッダー、11月に国会傍聴と長嶋茂雄お別れの会参列で計5回旅行。
残念だったのは関西大阪万博は枠がなくて行けず仕舞い。

④政治
私のライフワーク、
転職して回数減るかと思えばより幅が拡がり2月以来、各地で地方議会傍聴。
新規開拓は宮城県柴田町・東京都渋谷区に国政の舞台である国会議事堂にて衆議院と参議院。
選挙は無投票になったものの地元東松島市議員選挙にはじまり、最も熱く闘った宮城県知事選挙、そして先日の松島町議会議員選挙と参戦。

今年を纏めるとそんな感じかな。

諸々の思い籠めた2025年がもうすぐ終わり新年が来ても大した活動の変化あるわけなし。

日常を精一杯生きていきます。
2025(令和7)年も残り31日で『今年最後の…』って枕言葉が増える中、『今年最後の旅行』に行きました。11/21-23の1泊3日で東京旅行。11/21、朝2番列車で出発し、停車駅の最も少ない『やまびこ』で東京到着して間髪入れずに丸ノ内線で国会議事堂前駅下車し、国会議事堂へ。国会議事堂裏手の衆議院第二議員会館で森下千里国会事務所秘書氏と合流の上、お導きいただいて衆議院第一別館面会受付所にて議員紹介傍聴券発券。同じく裏手の衆議院西通用門で秘書氏と別れ、衛視1に地下玄関へ誘導され、玄関からは衛視2の誘導でロッカーへ。ロッカーに上着・携帯電話・バッグ類・財布など全て預け、持てるのは手帳一冊+ペンとロッカーキーのみ。傍聴券記名台で半券含めて氏名・住所・年齢記載し、記載内容を職員が確認し半券切り落として傍聴券渡され、傍聴する会議名の記載された胸章を付けるよう指示され、危険物探知ゲートを潜り、手帳もパラパラめくって確認される、地下1階⇨1階へエレベーターで上がり、順路に沿って歩いて別のエレベーターで4階まで上がるよう言われる。4階に上がって少し歩くと其処は『衆議院議場』が一望できる傍聴席の端…今日は議場を横目に進み傍聴者控室へ入ると、衛視3に番号札を渡されて階段を降りるよう指示。階段降りたら衛視4に誘導して貰い狭い階段を上がる。衛視5の確認を受けて、衆議院第一委員会室傍聴席へ入室。NHK国会中継される予算委員会でよく見る『衆議院第一委員会室』。言い遅れましたが、『衆議院内閣委員会』を傍聴。この時点で10:20前後で会議途中からの傍聴。9:00から始まってたので自民・立憲・公明までの議員が質問終了し、私が見たのは共産・国民・維新・有志の議員が質問してるところ。質問する議案については・ストーカー行為等の規制等に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第一号)・配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第二号)の2件。12:00過ぎまで質問が続いたあと採決がされ双方全員賛成し、付帯決議を付けた上でこの日の衆議院内閣委員会終了。衛視5人の誘導を経て、胸章・傍聴券・ロッカーキーに整理札に手帳だけ持って傍聴しましたが、会議に関する傍聴者向資料は一切無いし、委員会室内にはモニターが無いので、議員の発言時間が解らないのと今どの党の議員かも解らないのが傍聴者向け資料が豊富な地方議会との違いかな。退場する帰り道も衛視の誘導あって裏手西通用門より出た後、秘書氏と合流して衆議院食堂につれて行って貰う。この時の入場証明書は首からぶら下げるビジターカード。衆議院食堂は1100円の定食。その後、一旦外へ出て秘書氏のお導きで参議院側裏手の参議院別館に入り、秘書氏長く手続きに時間掛かった模様なれど参議院側の傍聴券を持っておいでになる。秘書氏とは此処でお別れし御礼申し上げる。さて1人で参議院西通用門から入ったところお目当ての会議が13:00からだと思ったら、15:30だと言うことが判明。別れた秘書氏に手数煩わせるのも失礼だから2時間半外をプラプラ。約20年ぶりに国会議事堂を周回。時間を潰した後、参議院西通用門で衛視1に傍聴券見せて階段降りる、地下玄関で衛視2の誘導で更に下の階へエスカレーターで降りるよう指示され、エスカレーター降りたところからは衛視3の指示でロッカーに荷物預け、再び手帳だけ持って危険物探知ゲートを潜り、手帳もパラパラめくって危険物確認完了し、エレベーターで2階に上がって衛視4の誘導で参議院別館第24委員会へ。『沖縄・北方問題及び地方に関する特別委員会』を傍聴。茂木外相と黃川田内閣府特命相の所信表明と外務・内閣府の副大臣と政務官の就任挨拶を拝聴。茂木外相と今井絵理子と青島健太と青山繁晴を見る…会議は20分そこそこで終了。半日掛けて衆参両院の委員会傍聴出来て満足。次は両院とも本会議の時期に来よう♪続いて地下鉄南北線乗って東京ドームへ。『ミスタージャイアンツ 長嶋茂雄お別れの会』へ参列。入場列で10分程度掛かり、東京ドーム入ってコンコースからグラウンド降りた後祭壇へ。祭壇へ進むのに30分程並び最後のお別れ。退場時に一礼しながら目頭があつくなり、ふと頭の中に『サヨナラ繁栄のニッポン』って言葉が浮かびました。その後都営新宿線乗って宿へ行き、初日終了。二日目はなんと新宿線と有楽町線乗り継いで再び国会…図書館へ。この日は資料調査が目的。半日掛けて勉強。その後夜は大学時代の後輩と出会って20周年の宴会。最初はみんな今のことを話してたのに、後半は学生時代のことになって大盛り上がり。時間の過ぎ行くのも忘れて愉しみました。その余韻浸りながら夜行バスで帰宅路。今年最後のお楽しみもこれで終わりと思うと寂しいですな。
安倍政権退陣以後、
菅(二階)-岸田-石破と続く中道路線が続き、私のような保守人士が一人また一人と自民党支持から離れ、極端な施策を示す政党の支持をせざるを得ない状況が数年続き、やっと本日、高市早苗氏が次期総理大臣に就任することが確定的となった今、快哉を叫ぶに至りました。

憲法改正、皇国皇土への愛国愛郷精神の徹底、真の独立国たる平和安寧の国家を是非、自民党高市早苗新総裁には期待申し上げたい。
去年9月21日、前の前の勤務先退職記念の卒業旅行として昼・横浜スタジアム、夜・Zozoマリンスタジアム、でダブルヘッダー観戦しましたが、2025年も仕事も落ち着いた頃合い見計らって決行!双方ともファンクラブのタダ券消化の意味も含めて。9/27昼14:00試合開始 横浜スタジアム・横浜DeNAベイスターズ対読売ジャイアンツ試合時間4:05、、長~~い。両チームとも三者凡退に終わる回がなく、チャンスとピンチの繰り返し、最終的には巨人が9-8で勝利。夜18:00試合開始 Zozoマリンスタジアム・千葉ロッテマリーンズ対北海道日本ハムファイターズこちらは試合時間が2:24と短いし、投手戦の様相で三者凡退続き…M1としていた福岡ソフトバンクホークスの対象チームの日本ハムとしちゃ負けられない戦いだったが故に日本ハムが2点を序盤に取ってそのまま逃げ切り。ロッテ側は種市が15奪三振してたのに見殺しかよ。試合後に両チームの監督とも進退伺出したようながらさてどうなるやら。これで今年のプロ野球全観戦終了、ロッテ戦は8試合観戦して0勝7敗1分、酷いな。
友達付き合いさせて貰ってる南三陸町の佐藤仁町長の進退が8月以降地元紙に掲載されて名言を避けてきたものの再選出馬するかを11日に議会で表明すると言い、その11日朝地元紙に『不出馬で勇退へ』の記事が出た事で、、、私も全国的なニュースになりそうな話なので岩手大船渡⇨陸前高田⇨気仙沼と議会傍聴を“巻き”で動いて、昼前に南三陸町役場へ。議場傍聴席のドア開けたら映像カメラ最低5台はあり報道陣は15人以上。宮城県内マスコミだけじゃなく、通信社や全国紙などでごった返してる……仙台市議会や宮城県議会で見るより記者が多く只事じゃないと感じましたが、私が入るなり、町長は俺を見付けて会釈してくれました。下調べで大体14-15時台にその時が来るなと確認していましたが、勝手識らぬ記者さんたちは退任表明後いち早く速報打たなきゃいけないから傍聴席と廊下を行ったり来たり…でお昼休憩…引退表明と別に町長に営業があったので記念写真をパチリ。決算の審査が一通り終わったのが13:55、町長が挨拶する本会議が14:20開始と事務局から告げられると傍聴席の記者陣俄然緊張。14:20-14:45まで本会議閉会の流れが進み、全てが終わる時に町長挨拶、、次期選挙不出馬を表明、そして涙で言葉が何度も詰まりながら東日本大震災被災した日の話やそれからの復旧復興への想いを語り、『私の役目は全部終えた』との言葉は我が胸にもズシンと届きましたね。挨拶の最中、町長の周囲に座る役職者も知り合いの議員さんも泣いてましたし、傍聴席のテレビ局員も涙を拭ってましたし、私もウルっと来ました。5分ほどの挨拶の後、議会開会中だから拍手も出来ないけど(議長が『拍手は?』ってジェスチャーしてたのがアレって思いました)、、すぐに議会が閉会して議長から拍手で見送って下さいとの声に万雷の拍手。その時の仁さんの背中、ホッとしたのか小さく見えたな。私も個人的に挨拶しなきゃと退場した町長追いかけエレベーター前で『お疲れさまでした。』と申し上げ町長も『ほんじゃまた』と返してくれました。東日本大震災発生時に地上三階の防災対策庁舎屋上の鉄塔最上部に昇りながら其れを越えた津波に飲まれても脚が手すりに引っ掛かり辛くも生還して凍える寒さの中で職員10人と一夜を明かし、13日から避難所になった体育館で職務復帰し、全国に被災地として情報発信し続けて【東日本大震災被災地の顔】の一人となり、復旧復興や防災対策庁舎の保存問題で紆余曲折擦った揉んだ有る中(私も批判してた時期あり)、町の再建・復旧復興の牽引役として14年進み続けた有名人。4年前から友達としてお付き合いしてますが、フットワークが軽くいつ逢っても『オゥ久し振り!元気か?』と声を掛けてくれる。首長として東日本大震災復旧復興に信念曲げな過ぎて独裁的と猛批判されて関係者と軋轢生みすぎて志半ばで落選引退する首長も居る中で、批判の声より応援の声が大きかった仁さん(尤も議会じゃ割とガス抜き的に不機嫌・怒りモード見てきましたが)。この人の凄さは『自らが顔になる』ことでの『発信力』なのかなと思います。東日本大震災被災地が世間に大きく取り上げられる要素として、他所から救助・報道・NPOボランティアの人たちが惨状発信するケースが多く、被災自治体はどちらかと言えば受け身が多く、住民じゃ無い発信者の匙加減で伝達されるので、被害の酷さも軽微に伝わってしまうこともあった感じがしましたが、南三陸町の佐藤町長は自分自身が新聞・テレビ・ラジオメディアに登場して必要以上に発信し、ネット発信にも積極的に関与。広大な範囲で被災した災害だけに発信力が強いことメリット大きかったと思います。東日本大震災の津波被害については隣りの石巻市は最も犠牲者が多かったのに発信力の弱さで最初はなかなか被害の実状が伝わらなかったと思います。震災から年月が経つに従い、自身のFacebookで町のイベントや職責の行事も積極的に発信した町長、、、偉ぶらない“人懐っこい”おじさんだからね。議会で議員と喧々諤々遣り合って水入りの休憩時間に入って執務室に戻る途中、傍聴席にふらり入って議場を写真に撮影して、SNSに『議会開会中』と投稿する、、、それが仁さんですね。とある東日本大震災津波被災自治体の首長を経験した方は退任後、【××××名(正確な数で)の人たちを津波で“殺して”しまった】と自分の責任で犠牲になったと責任感じて極力公の場を避ける人もいるだけにあの災害を越えた首長って相当な重圧だったのだろうなぁ。11/6の退任の日も役場に行ってみたいですね、どんな感動が生まれるのかな。
戦後80年の節目の夏が終わった。

8.15 その日は宮城県護国神社の式典に参列。

戦争体験者が絶対的に80代になってしまいましたし、戦争の記憶のある世代はもっと上だし、
来年末で大正生まれも全員100歳、明治生まれはもう日本に5人しかいないそうで。

昭和100年とも言われるのに、メディアや個人の上げる話題に平成の出来事なのに平気で【昭和】と言い切る世の中も如何なものか。

何より戦争体験伝わり方、多少フィルター掛かってやしまいか。

世代ってのもあるけど、私ら世代は親より上の世代は戦前戦中には能動的に動いていたので当たり前のように戦争の話を聞けたのは本当に幸運だと思いますね。

そして9/2の降伏文書調印80年の報せを境に【戦後80年・昭和100年】の話題はピタリと止んだ…

そんなもんなのかな。
ミスター!・長嶋茂雄監督逝く、、私ら世代は長嶋監督ですね…それは王貞治監督も野村克也監督も星野仙一監督もそう。
6/3 AM6:39に息を引き取った2時間後のAM8:44にニュースになり、私が知ったのは8:50のYahoo!の速報通知。

このニュースは覚悟はしてました、殊に2022年の脳内出血以後は長命と言うこともあり、突然、目にするかもしれないと思ってましたが、実際に知ると“哀しい”と言うより“辛い”想いですね。
簡単に“一つの時代が終わった”と言いますが、戦後の日本において力道山・美空ひばり・石原裕次郎・長嶋茂雄は時代に求められて誕生したスターであり、日本人の道のりを語る現代史の重要なキーパーソンなだけにこれからは“これまでと違う時代”を歩まされそうな感じがして嫌だなと。

長嶋茂雄・王貞治の影に隠れた球団ファンの中にあるネガティブな見方が大嫌いなのでネットの声は基本見ないし聞かない。

ただリアルタイムで“監督”長嶋茂雄を永く見てきた世代だから訃報の悲しさを共有したくても今の職場は20代しか居ないので話しも出来ず、、奇しくも長嶋監督が永年CMに出演してたSECOMのグループ会社に去年9月まで勤務し、その中には私より上の年齢しか居なかったので大いに話が出来たんですけどそれも儘ならない……
それでも“長嶋逝く”の哀しみを共有する方として昨日、南三陸町佐藤仁町長とお話し。
佐藤仁町長は全国的には東日本大震災の大津波に飲み込まれながら奇跡的に生還した人まだけど、、実は1969年の夏の甲子園に仙台商業のショートとして出場しベスト8へ進出、長嶋監督と現役時代・2度の監督時代対戦した元ヤクルトの八重樫幸雄さんが同級生で居るから、、思いの丈たっぷり拝聴。
…大リーグで活躍する大谷翔平に至るまで道のりを築いた【大功労者】…
…長嶋さんに憧れ、小学生時代のチームで背番号3を付けた…
その世代らしい話が訊けました。

中日が近藤アメフト野球で8年ぶりに優勝し、新興西武ライオンズが広岡達朗指揮のもと初の日本一に輝き黄金時代へと入る1982年この世に産まれた私にとにとって野球との関わりは、
1941年生まれの父親が7歳の1947年以来ファンだと言う阪神タイガースに引っ張られ、HT帽子を被らされた幼少の思い出…1985年の阪神日本一もあり、ホーム・ビジターとも廊下に親子分のキャップはあったけど、、、小学校上がると周囲はみ~んなYGマーク。
ってなワケであっさり小学2年生に父親を裏切ってYGマークの帽子を買って貰い晴れて巨人ファン。
当時長嶋さんは野球人というより、色んなテレビ番組に出てくる文化人…しかも巨人の関連会社・日本テレビに限らず、多方面に出てた印象。
1992年秋、そんな長嶋さんが巨人監督復帰。
94年の日本一は石巻駅前の個人の家電店で見たし、
96年のメークドラマ逆転優勝は試験勉強しながらラジオで聞き、
野球への関心が格段に高くなった00年は快進撃に歓喜し、9/24のミレニアムVはホント嬉しかったし、ON対決見たさに応援したダイエーも終盤猛烈な追い上げで優勝し、念願叶った時は嬉しかったですね。
…熱狂すると醒めるのもあっさりして、リーグ優勝後の宮崎ミニキャンプ中に杉山直樹捕手が起こした淫行事件に怒り、巨人ファンからダイエーファンに宗旨替えし、日本シリーズを少し冷ややかに見てました。
01年『野球とは人生そのものだ』との言で長嶋監督退任し、巨人は敵と見るようになりました。
03年にダイエーが日本一になり、ここもそれで醒めて、04年からロッテファンになり今に至ってますが、、長嶋監督はアテネ五輪代表監督として活動する姿は応援しましたよ、まさか04年初春脳梗塞で倒れるとは…


長嶋茂雄さん…1936年2月20日に千葉県印旛郡生まれ、生後5日後には2.26事件発生。
背の小さい小学生が野球に触れたのは戦争末期で在所の山から東京方面が空襲で赤々と燃える光景を見たと学習雑誌で読んだ覚えがあります。
佐倉一高から立教大学に入り、57年六大学野球でホームラン8号の新記録を出して、58年からは巨人へ。
時代に求められるまま天覧試合のサヨナラHRを放ち、王貞治さんとON砲として活躍し、65-73年のV9をクリーンアップとして牽引。
71年の首位打者獲得以降は低迷し、74年に『我が巨人軍永久に不滅です』の言葉を残して引退し監督就任。
監督初年は投打混迷のリーグ最下位と広島初優勝のお膳立てに留まったものの76-77年の連続優勝と王さんの本塁打世界新記録をアシストするも日本シリーズで阪急に封じられ、78年には広岡ヤクルトに抑え込まれ、80年に事実上の解任。
横浜大洋・ヤクルト・日本ハム・千葉ロッテ幾度か監督要請があるも首を縦に振らず。
93年に巨人監督復帰し、FA補強が上手くいった94年・96年・00年は優勝するも巨大戦力を活かし切れないのが長嶋野球。
03年にはアテネ五輪日本代表監督としてドリームチームを率いると思われて04年脳梗塞。

長嶋さんもこれまでか…

と思ったけど、物凄いリハビリで盛り返し。

06年開幕戦、東京ドームで長嶋監督を生で拝見、、右手で強い拳を握っておられました。

08年からは各局のインタビュー番組にも積極的出演され、疎遠になりゆく長男に変わって、テレビ朝日出身の次女三奈さんとのコンビで随分メディアで拝見しました。

2010年代は『野球・ソフトボールをオリンピック種目に』の旗頭を王さんとともに務め、21年の東京五輪閉会式にも出演。

22年の脳内出血は再び冷やっとしましたが、年に数回、万全の看護状態で東京ドーム訪問。

最後が去年11月の90周年イベントですか。

今年も何度か動静聞いたような気がしてましたが、、逝ってしまいました。

亡くなって思うのは『長嶋茂雄とは【入り口】である』ということ。
長嶋さんが居て、野球あるいは色んなことを始められた、、長嶋さんが居るから××できたとか長嶋茂雄があって物事がスタートする入り口じゃないかと。
そんなミスターについて全国各地の新聞・テレビ局がこぞって、『長嶋茂雄さんは我が県で~』とか『我が社のイベントで~』って思い出語りに必死なのは会社の上層部に長嶋ファンがいるのがありありと解りますね。

2000年のON対決後の勝利監督インタビューで『20世紀、皆さん本当に有難うございました』と世紀を締め括ってましたが、20世紀の昭和戦後史と平成の時代を駆け抜けたんですね。

没年89歳で享年90歳…89(野球であり、盟友王監督の背番号)と90(自身第一次監督時代の背番号)。
6月3日午前6時39分⇨全部3の倍数、、、最後の最後まで魅せてくれましたね。

最後に、
これはミスターが二度目の監督辞任の頃、日記を書くときか何かで思いついた言葉で、
『ミスターとは3スターである。
魅スター(魅せるスター)であり、観スター(観戦するスター)であり、 見スター(見に行くスター)である』
…ここまで長々書けるあたり、私も長嶋茂雄ファンとして想いは失せてないなと。
改めて、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌。