八月は 日本人にとって 原爆投下と敗戦の季節である
反戦と反核の季節といっても過言ではない
しかし、戦争と平和の問題が
非常に単純化され
戦争と平和が 子供だましの 善と悪にすり替えられている
マスコミのステロタイプを誰も疑おうとはしない
歴史を詳細に検証すれば
ことがそれほど 単純ではないことが理解できるはずである
少なくとも 近代戦争は総力戦であり
文字通り国民国家の 存亡をかけた戦いであった
東京裁判史観を持ち出すまでもなく
戦後この国の史観を 冷静に読めば明らかな偏向がみてとれる
しかし このように述べれば 多くの人々から 右翼だの軍国主義者・戦前賛美だのと
レッテルを貼られ 袋叩きに会う
先の大戦の冷静な表現の自由は 日本においては悲しいかな未だその空間が保障されていない
日本は 侵略主義国家であり国民は時の権力者に騙されたのである
という ハリウッド映画のような大衆受けするプロパガンダから抜けきれずにいる
もちろん戦争は 人類の業のような悲惨な行為であることに異論を差し挟む余地はない
いかなる理由があろうとも 他国民の犠牲や搾取による自国国家存続・繁栄は 許されるべきではない
しかし 自由と民主主義を標榜するアメリカやヨーロッパ諸国が
第二次大戦後 一番数多くの戦争を行ってきたのは 紛れもない事実である
ソ連・ロシアもしかり
日本人一人が 国家を超え世界市民気取りで 世界平和を唱えようとも
その説得力はない
なぜなら 自国の平和存立さえ自国で支えようとする意思をもたない 思考停止の
国民が どうして世界平和に寄与できようか
国際紛争のすべてを話し合いでのみ 解決できるほど
世界はそれほど平和ボケしていないのである
そのために 外交努力が必要だとのこれまた ワンパターンの
言説も 国民受けする社交コメントでありその実体はない
まさに「ごっこ」の言論空間にわたしたちは 生かされてきた
平和を希求する意思は 大切である
ただそれは 戦争は他の手段をもってする政治の延長である といった
クラウゼビッツの戦争論と矛盾しない
悲しいかな 私たちは 未だ近代国家を超える
新たな思想に到達していない
世界に大きな紛争や戦争を絶やすためには
現実が 如何に困難であろうとも その思想的営為を継続するほかないように
思うのだ