現実的な視点での教育 という観点からしたら、こうした上原先生の「子ども観」は「一体何をいってるの?」という印象を持たれる方が多いかもですね。こうした発言をされた時から半世紀近くもたっているし・・・

 

でも、教育が混迷を極めているからこそ、この歴史や文化を持った日本人が、どんな風にこどもをとらえて教育をしてきたのか、ということをきちんと振り返ってみる事は大切なことだと思います。

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・(小学校のカリキュラムが現実対応教育・知識教育にどんどん移行していることに対して)
ホント、子どもは野生と神性を失ったね。・・・
何にもしなければ、神性も野生も温存されているのに。」
                (平成七年合宿)

・子どもが何に誘惑されて、何にリードされて生きているか・・それを表すほど「子どもらしい」と感じるんですよ。表さない子、知識で動いている子は子どもらしいと感じないんです。
 子どものエネルギー、生命の誘導性が活力なんですよ。これは大人だって同じなんですがね。
                (平成二年合宿)

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もちりん「何にもしなければ」というのは、教育活動の放棄ではありません。
現実対応意識ばかり刺激する(知識)教育を過度に子ども達にしなければ、という意味です。

小学校では子ども達が生得的にもっている生命力(エネルギー 神性と野性)を自然に出せる、出しながら日常生活を整えていく・・・それに専念すべきだと

そして、中学校以降の段階で、順をおって「現実対応」「知識教育」は鍛えていくべきだということです。

自分の内側から湧き上がってくる力、そしてその力にリードされていきる姿勢・・・・それあってこその「自分らしさ」と「現実対応」との調和が実現していくわけです。

その土台が希薄だと、
・現実にどんどん押しつぶされる
・身勝手な自己主張だけで、逆に居場所をなくす あるいは 他者を潰すばかりの人間になってしまう
等々のことが起きてしまうのだと思うし、それは実際に起きています。

多様な子ども達だからこそ、子ども達の内なるもの・・・・奥底から湧き上がるものほど、身勝手ではなく周囲と調和する発想をふまえてのものになる・・・に、もっと委ねた教育です。

その気になればそんな難しいことはないし、そうなっていくと何から何まで「どう指導しようか」ということで教師が悩まなくて済むようにもなっていきます。

*もっとも今は大学の教員養成でも、教科指導の訓練中心のところが多いのでしょうから、「子どもに委ねる」という発想が具体的にはどういうことなのか、なかなかピンとこないかもしれないですね。

本当は、人間力そのものを高めたいという志をもった先生方とか、教育者を目指している若い方々と、ネットなどを通して交流出来たらな・・・という気持ちも持っています。
私も体調や境遇なんかの関係で、いつまで動けるかわからないので(苦笑)