「封建制度」のイメージで以下のことばをとらえると「古い憲法や民放の時代に逆戻りせよというのか!」「家に縛られることがいいと思っているのか!」
という反論があると思います。

「個人」の尊厳を否定しているように受け取られる言い回しもしていますから。

ただ、上原先生が「個人の権利の否定」「個人の自由を縛ることを容認」云々のことを言っているわけではないというのは了解して頂きたいと思います。

個人の命(魂)を日本人がどう感じとってきたのか・・・そうした生活をずっとずっと昔からやってきた根底にある意識を探り、語っているというスタンスです。

「ちゅらさん」をたびたび例に出していますが、後半シリーズで次々と婚姻関係で古波蔵家の家族が増えていきます。その際にも「同じ家族になったんだね」というセリフが何度も出てきます。単に一組の夫婦ができた、というのではなく、古波蔵家という大きな流れの中にのった・・・という感覚なのだと思います。

有名な絵本でいえば「はっぱのフレディ」と通じる感覚でしょうかね。大木が「家(家系)」です。

そうした大木自体もさらに大きな時間の流れの上にある。
それを描いているのが、例えばここでも以前話題にした「おじゃる丸」の「また会う日まで」だと思います。

そういった考え方を述べているというつもりでお読みください。

********************************
・残るは先祖霊だよ。その人自身を語る時にその人の先祖霊が、丹波哲郎じゃないけど、どうとりついているかっていう。それだってその人自身ではないでしょう。生命としての連続体がその人にどう現れていたかというだけの話だから。

 日本人はそれを知っていたから、上原輝男を語るにも『上原何代目である』と、『何代目はお亡くなりになりましたけれど、新しいこの次の当主はこれですという説明をしていく。だから個人なんて大切なものなんて一つもない。それに代わるものとして家の復権だね。もう一度考え直さなくちゃいけないの。  
       (平成二年合宿)


・家っていうのは命のよりどころっていうことがわからないんだ。現代人は『家の思想』を失った。
 家の方が大きかったんだもの。個人よりも。日本人は・・・。『個人は家についているものだ』っていうのは日本人の考え方だったんだ。今の人達は『個人がいるから家がある』と思っているから。                      (平成三年合宿)


・どうして『おうち』意識について探ったのか・・・ 
子どもの宇宙観・存在観(時間・空間)が知りた かったから。

 子どもはどういう体感を持っているか・・・『ぬくもり』これが子どもを育てる。
              (平成二年九月例会)


********************************
☆「上原何代目」という言葉がありますが・・・明日4月11日は上原先生の没後28年にあたる命日です。


古典芸能の世界以外でよく言われるのは、料理の世界での「この店の味」という感覚でしょうか。
代々味が受け継がれていくことで、各段階の肉体は滅びても、ずっと生き続けている、という感覚です。

こうした感覚が別の形をとると「子孫を残す」という生物共通の姿勢・・・本能・・・になるのでしょう。

自然界をみると、自分の子孫を残すための執念ってものすごいものを感じます。それこそ微生物のレベルからあらゆる生物が子孫・・・自分の分身・・・を残すために様々な方法をとっている・・・それぞれの進化をとげている。

自然界を描いた番組などでのメスを巡ってのオスの闘いもすさまじいものがたくさんありますよね。

もちろんそれらは本能をして行っているわけでから、同じ「地球上の生物」であってもそのまま人間にあてはめて考えることはできない部分もあります。

子どもを持ちたい、でも社会制度の不備や、日々の生活の苦しさから、子どもが欲しくても無理、という方々もいらっしゃいます。身体的な理由で子どもの欲しくても産めないという方々もいらっしゃいますから。
当然のことながら「子どもを産まない」という自由意志による選択肢だってありますからね。


ただ、そんな現代社会だからこそ、子どもは個人のものだけではなくて、社会全体で守り育てていくという共同意識を、もういちどきちんと見直す必要もあると思うんですよね・・・・

せめて、街中で子育てで苦労している方がいたらさりげなくフォローするとか、それができなくても、人込みで子どもが大泣きしているときに、露骨に不快感でプレッシャーをかけたり、頭ごなしに「静かにさせろ!」と怒鳴りつけたりしない、とか・・・・・



参考)昨日、たまたまネット上でみつけた記事です。
駿煌会 ×上原輝男記念会
さきほどみつけた記事、ブログ更新のあとだけにグッときました。

いい親子関係を心掛けてと一生懸命に子育てしている人を追い詰めるような人が減ってほしいものです
https://news.goo.ne.jp/article/hicbc/life/hicbc-1102555.html
逃げて行った彼氏はどんな気持ちでどんな暮らしをしているんでしょうね
まさか同じ繰り返しはしていないよね





この上原先生の説いている古代人からの発想をさらに大きくいえば、「人類の存続」そのものの問題です。

子育てがその家族だけでは非常に困難だったら、その家族だけではなく、社会全体の「ぬくもり」が子ども達を育てるようになったら理想なのでしょうね。

そして他人の子どもの成長も自然に喜べる社会。
そろそろ競争原理で他人の子どもは敵であるかのような発想の次を目指しませんかね

☆良きライバル関係での競い合い高め合うのはいいと思います。
負けてメチャクチャくやしがっても、相手を称える気持ちはちゃんと持って、次に備えるという関係ならば。