物語文を通して「感情・イメージ」などを扱うという話題ですが、すべての教科の教材にあてはまる考え方です。

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・ 今までは、教材を見てね、この教材をこんな風に教えれば効果的じゃないか、ってそんな事ばっかりやっているわけ。だからどんどん子どもがそっぽを向いてしまう。

 ところが「子どものイメージの問題なんです」と、「潜在的なイメージの問題を我々は解決する為に、教育者は存在しているんです。」と言った方が世の中の人達は「なるほど」と言ってくれるんです。(平成初期)


・ 子ども達のイメージ活動へ還元させるかという問題でしょ。そのための刺激剤として、この「サンマの化石」という教材は非常に格好な刺激剤であるとしなければならないわけでしょう。そういう感じで読まないとだめです。

これは不適当であるというなら教材を変えないといけないし。それで良いをするならばこういう処理が必要だ、ということを考えなければいけないし。何が故にこれが適当なのか、という事を先ず出さないと。            (平成元年合宿)



(『泣き』円形の図の話しから)
 我々教育者は子どもを預かっている。そしてその子ども達に感情の偏りのない進歩、あるいは成長、そういうものを望んでいる。・・・必ずしもバランスのとれるって事を目的にはしないけれども、教材そのものが偏ったものしか与えていないとなると、感情は万全な発達をとげるかどうかは分からない訳になりますから、

児言態はこうした作業を一方でしていたんだ、っていうふうに御理解頂きたい、とこう思う訳であります。

・・・はたして感情っていうのは円をなすかどうか、それも問題であるけれども、一応教育的な配慮っていうことから言ったら全面的に配列があるような形のものが教科書としては適当であろうと、こう考えるからこういう形をとっているんだ、っていうふうに理解すべきだと思うんですよね。    (昭和六十二年合宿)



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☆昨日の記事に関して、ある方がこのようなサイトも紹介してくれていました
それがあって、今日は「教材」についてとりあげた次第です。

奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち ~伝説の灘校国語教師・橋本武の流儀~
 https://www.shogakukan.co.jp/digital/094087730000d0000000
伝説の98歳灘校教師が教科書の代わりに『銀の匙』選んだ理由
 https://www.news-postseven.com/archives/20110613_23018.html?DETAIL
 

 


上原先生と出会った玉川大学は、創立者小原國芳先生の「全人教育」の理念のもとにつくられた学園の中にある大学でした。
現在は教育学部というのになってしまいましたが、小原先生のこだわりは「文学部教育学科」としていたことでした。

 

「人間全体を扱う文学部」(哲学や宗教など、人間を深く探求するすべての分野が集まっている学部)、その中に「教育学」は含まれているのだと。
教育学科は「教育学専攻」ということなので、体育専攻コースは別にして、国立大学での教員養成系学部のような小学校での教科の専門というのはありませんでした。全ての教科・領域を統合して、子ども達一人一人の成長を考えていける「教育者」の育成を目指していました。

ですから、教材に対しての考え方も当然このようになっています。

そして別にこの発想は玉川学園の専売特許でも何でもないんですよね。
教育基本法から学習指導要領にまで貫いているのもこの発想。
でもそれがどうしても現実対応に追われているうちに形骸化してしまっている。
そして長年それをやってきたツケが現代社会の中で様々な噴出してしまっていると思われます。

ここで踏みとどまるか、それともやっぱり現実対応に終始して、今後の未来をますます混迷させるのか・・・重大な岐路にさしかかっている。

だから「上原輝男記念会」を立ち上げ、こうしたブログでの紹介、そして上原輝男著作集に向けての活動を今年から本格的に行い始めているわけです。

上原輝男記念会公式ホームページ
https://5vvti.hp.peraichi.com/