中高年の方々でも、「幼い時にみたあの番組のことが妙に頭に残っている」「今思えばあの番組の影響から学んだことが多い」「あの番組との出会いが自分の人生を決定づけた」などと思い当たるものがあるのではないでしょうか。

今回はそういう話題です。

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・子どもはいつでも夢を見ている。その中に先生だから入れるということでなければ、(ならない)。
ガンダムの世界、子どもの世界、夢の世界に働きかけている。(これが、)テレビ作家たちの仕事、

教育力ということから言えばテレビ作家たちの方が優っている。
教育の世界に(は)、子どもの世界に触れるものがない。
1992年(平成4年)9月15日 月例会 


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この場合の「子ども」というのは、特に現代においてはあらゆる世代の大人にもあてはまると考えてください。
そして、ゲーム等々の言葉に関しても、ここに書かれている以外の様々なことに結び付けてお考え下さい。

また「教育力」というのも教科の内容を上手に教える力、などではなく「人間としての成長・人生の生き様」にどれだけ影響を与えるか、という意味でお考えください。

*この言葉、視点をかえれば、子供向け、大人向けに限らず、あらゆる分野の作家の方々にも非常に参考になると思います。
無意識レベルへの働きかけを意識して多くの人達の心に響く、心に残る作品を生み出す極意です。
それを意識しないで制作されているのでしょうけどね。
自分の心の底から湧き上がってくる想いを作品に込める。それは心意伝承などの共通レベルのことですから、自然に多くの人々、さらには宮崎アニメなどのように故郷をこえて様々な国の人達にも響く作品になっていくわけです。



アニメや特撮、さらにはゲームなどの内容に対しては非常に優れたものがあることは認める一方で、かなり厳し見方もしていた上原先生。それは御自身もかつてシナリオライターをしていた、特撮の神様といわれている円谷英二監督と共同で劇映画の大作をつくる計画もたてていた等々の経験からの厳しい指摘でもありました。

ただ、上記のように、そうした若者向けの作品を生み出す作家の姿勢そのものに関しては、非常に肯定的な見方をしていました。

それは言葉をかえれば、対象である「子ども達」(若者達)の無意識の世界までしっかりととらえ、そこに響くように作品を作ろうとしている、という点でです。
もちろん意識世界での非常に浅い部分を単に刺激するだけで気をひこうというレベルの作品だってあります。
極めて偏った性的な刺激、暴力的な刺激等々・・・歪んだ人間性に誘うようなものたちによってという製作者です。
例えは変ですが、一流の詐欺師などが人間の心理を巧みに利用するのとも似ています。人間心理への深い理解があるから、どのようにすればつけ入る事ができるのかを熟知しているわけですから。

上原先生は宮崎駿監督のことを非常に高く評価していました。作品の質からいえばあの黒澤明監督よりもずっと深いと。それは内容の面白さもさることながら、人間の無意識の部分をとことん掘り下げてアニメを作っている姿勢そのものへの賛辞ともいえます。上原先生が町外追い続けた無意識の奥深い部分にある「心意伝承」の領域に接触する世界の中でアニメを作っていると。

 

それに対して学校の教師は(昭和後半や平成初期の段階でさえも既に)子ども達の深い内面には全く響かないような、大人が勝手に決めた「知識」をロボットにプログラミングするだけのようなことばかりが教育だとしていると。
本当の人間力を伸ばすどころか、人間として本来もっている力が消耗するようなことばかりをやっていると。

大人になって振り返った時に「あの時に授業で学んだことは、今でも忘れられない」「自分に影響している」と思われることがどの程度あるでしょうか?
たいていのことはテストが終わったらすぐに忘れてしまって、無意識にも大切にはしまわれていないのではないでしょうか。心に響いていない知識は、無意識にもほとんど残らないでしょうね。

でも、私にとってはウルトラマンやウルトラセブンのいくつかのエピソード、今であったら最近の宮崎アニメのように、テーマとして非常に高度である、あるいは何が描かれているのかわからない、言葉では説明できない・・・でも心にひっかかっている、というようなものは、ずっと無意識に残り続け、その後の人生に影響を与え続けます。
何かのきっかけに記憶が甦り「そういうことだったのか!」と世界の見方をかえてくれることもあります。


*そもそも私にも幼児期に多大な影響を与えてくれた「ウルトラマン」の海の親である金城哲夫氏が上原先生の愛弟子であり、上原先生に示された民俗学の「まれびと論」からウルトラマンは発想されたというわけですから。

それらのことについての参考サイト
・上原輝男記念会 リンク集・資料集
http://jigentai.edo-jidai.com/

・☆ワニワニ学級へようこそ ホームページ
http://www2.plala.or.jp/WANIWANI/index.html

*正確にいうと、こうしたアニメなどで「注入されたもの」ではないんですよね。
人間(子ども達)の無意識も含めて、心意伝承レベルに響く内容だからこそのこと。
視聴した際に無意識世界との共振・共鳴が起きたからと考えられます。
 

 


確かに現実対応の力としてテスト対策も社会の要請として無視はできないというのは分かります。
しかしそれも、本当の人間力があがったから、テストの結果も自然にアップしたというのが正常な姿です。

上原先生は(当時でいえば現行の)学習指導要領に対して、子どもの成長をきちんとふまえていない部分があるとしていました。そんな学習指導要領ですが、各教科Kの目標などをみても、テスト対策が最終目標とはされていません。
豊かな人間として、その教科・内容がどう関与するのかという視点で目標が掲げられています。

ではこの数十年の学校教育で、それがどこまで建前ではなく、本気で考えられ、授業実践がされてきたでしょうか?

仮にペーパーテストで100点をとった、学力テストで他の学校や市町村よりも平均点が上まわっていた・・・・そういう事も達が、確かに「豊かな人間性」を感じる大人に成長した・・・と自信をもっていえるでしょうか?

そういう子もいるでしょう。
でも特に「競争社会」になってからは、歪んだエリート意識にかられた人間を増やしたことの方が多いような気がします。そしてそこから「負け組」とされて挫折し、人生に悦防している人達を大量に生み出した。
そもそも学校の先生自身が心身を病んでしまう、教員志望者がいなくなる・・・学校不要論は高まる一方。
(今や学校は、さんざんにケチをつけられつつ、家庭教育の領域で子ども達が問題を起こしても、責任を肩代わりして「自分達の教育が至らなかった責任です」と謝罪してくれる便利屋さんのようになってしまっています。


そしてやっぱり世間が要求するのは、何がなんでもテストの平均点をよそよりもあげることばかり。
心ある先生方も、公務員規定のこともあって、職務上の上司の命令に背けないので、仕方なくそういった授業をする・・・・でもみかけの点数をとらせるための授業を小学校の時から強いた結果、上の段階に進めば進むほどおかしくなてくる。

学校で行われている多くの教育の内容が、「子ども達の無意識と共振・共鳴をどうしたら起こせるか」という視点で教師が真剣に考えれば考えるるほど、同じ内容の授業であっても、子ども達への教育力は激変すると思います。
なによりもそういう授業は子ども達も楽しいし、子ども達が楽しく好意的にうけとめてくれる雰囲気があがれば、教師側も楽しくなる、といういい循環が生まれます。


本来の姿を逸脱した教育をこの数十年、ずっとやりつづけた結果が現代社会の様々な部分で噴出していることを、しっかりと認め、根本的な改革をしなければ後はないと思っています。
そのための「上原輝男記念会」の活動です。

*記念会のブログで、今日更新した
「歌舞伎は日本人の心の偏向」
http://jigentai.blog.shinobi.jp

も、今回の内容と深くかかわっています。
今風にいえば「歌舞伎」→「アニメ・漫画・・・・」と置き換えて考えます。
是非あわせて御覧ください。