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あきらめ
 日本人の意識では『明らかにする』『究極の真相を知る』ということ。 (児童言語の研究 演習) 

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スラムダンクでの安西先生の名セリフ「あきらめたらそこで試合終了」に代表されるように
「諦めずに努力することが大事」
「諦めなければ道は開ける」
という言葉もよく聞きますが、その一方で
「何事も諦めが肝心」「人生、諦めも肝心」
という言葉もありますよね。

「どっちなんだ」ということになりますが、ことわざなどでも「慮極端な意味の言葉」がどちらもというのはよくあります。
そこが古来からの日本人(東洋人)の思考法の特徴かもしれません。

「あれかこれか」ではなく「あれもこれも」

それがデジタル思考の人間がどんどん増えてきて、無意識の世界にある様々なものを同時に存在させるという実態から、意識が桐葉慣れてしまって、心をどんどん消耗させているのだと思います。
不自然なことをやっているわけですから。

この上原先生の言葉からは、そんな両極端なことがどうして一つになりうるのかというヒントがあるように思います。

「究極の真理を明らかにすること」・・・人知を超えた領域・人間の力ではどうしようもない領域
→神仏にすがるしかない・・・中国思想でいえば「人事を尽くして天命を待つ」でしょうかね。

つまり人事を尽くすというところが「諦めない大切さ」等々の言葉
店名を待つ というところが「諦めも大切」等々の言葉
と考えると分かりやすいのではないでしょうか。

『究極の真相を知る』とあるように「究極」ですから、本当に今の自分の精一杯を尽くしてこそ「限界」がみえてくるわけですよね。
それが「ほとんど何もしないで諦める」という姿勢の人が「諦めも肝心だ」という言葉を自分を正当化するために使ったら、それは本当はすごくもったいないわけです。

ただ誤解のないように言いますと、例えば高収入などの物質的価値観から脱却して、心の世界の平安を求めるようになった・・・という人が「もうお金を求めての生活は諦めた」というのは、本当の意味での「諦め」だと思います。究極の幸せに気が付いた結果なわけですから。(もちろん 人生は金がすべて という考えもありますが・・・今はその立場をとらないで話をすすめます)

「こだわらない」「執着を捨てる」境地ですね。
「諦める」ことによって、さらなる高みの境地に向かえるわけです。

最近よく目にするのは「(地位や名誉や財力などの)現象価値は欲しいけど、それに伴う努力などはしたくない」から「諦める」という場合です。「究極の真理」などとは程遠いところで諦めているわけです。

こうした意識で「どうせ無理」とやる前から諦めるというのは、自分の中に眠っている力を眠らせたままにするのですから、もったいないんですよね。

*これまで一生懸命に努力したけど挫折して「どうせ自分には無理」となっている場合は別です。
その場合は精一杯の努力はしたわけですから。
ただ、成果主義などで「勝ち組・負け組」などということから「失敗」「思うような結果が出さなかった」=人生の敗北者
という誤ったイメージに世の中がなってしまったから、せっかく人事を尽くし、「究極の真理への扉」が開かれようとしているのに、自らそれを閉じてしまっているわけです。世間からの刷り込みによって。


ちなみに上原先生の発想の授業での学習指導案の目標は「到達目標」では書かれていません。
授業テーマに対しての意識「~について見届ける」というような書き方です。
先生の基本姿勢は「本音の意見を出す中で、今の自分の精一杯を出して、限界を自覚すると、子どもは次のステップに自然に進むことができる」というものです。

それが幼い頃から、一人一人の子どもの「精一杯」を認めるのではなく、勝手に大人達が決めた基準に到達できたかどうか・・・だれが早く到達できたかと競われてばかりいる。
そのため学習していることが「真理への道」ではなくなっているわけです。中身はカラッポのことを如何に早く覚えて、再生できて、先生や親に褒められるか・・・

そんな競争に敗れ、大人からも「この子はダメ」という烙印を押されて「自分なんてどうせダメな人間だ」と思わされてしまう。
一種の強力な催眠術・・・呪いですよね。

「やる前から諦める」という人達はとかく批判されがちですが、すぐに結果を出せないタイプ・・・大器晩成型の子や、すぐに分かった気になるのではなく、とことん深く考えたい、という子などは、優れた素質を持っているのに、「ダメな子」と思い込まされてしまうのは、大きな悲劇です。

多くの人達がこうした呪縛から脱皮できないで、どんどん心身を病んでしまっています。
そんな呪縛からの解放のヒントになると信じて、上原先生の言葉を残そう、知って頂こうと考えている次第です。