おしゃべりしている輪の中には「あいづち」が上手な方がいらしゃることが多いですよね。
今日紹介するのは「あいづち」についての上原輝男先生の語録です。

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あいづち
・日本語はもちつき。小学生が喜んでいる時は、波に乗っている。(特に三年生以上は、はずみを覚えていく段階。ゴムボール的な見方を覚える。弾みやすい子か脈搏数に注意するとよい。)    (国語教材研究 講義)

・あいづちがへたな人間とは話しづらい。楽しくするために無理にでも『話しに花を咲かせる』                       (国語教材研究 講義)

・子どもの会話の流れを捉える研究として、あいづちの獲得過程の研究が必要。
 あいづちで性格・発達がわかる。  (児童言語の研究 演習)

・子どものイメージにあいづちを打ってやれば、子どもはのる。         (平成七年五月例会)

・教師ほど大事なあいづちって打てるようにしなきゃならない。先生の方が本当に適切なあいづちを打ってやる。そうすると子どもがパッとこうなってくる。

そうしたら子どもがよくみえるようになってくるね。

やめなさい、なんて言うよりも上手なあいづちを打つべきだと思うよね。

『相手に先手を取らせる。こちらが先手を取らない。』って剣道の極意といっしょだよ。
先手必勝なんてガキのけんかだよ。相手に先手を取らせてやる。譲る。つまり、相手が先手を打つだろうという情勢を作ってやる。
だから先手はどこで打ってくるかわかるんだよ。だから上手なあいづちが必要なんだ。            (平成四年女川合宿)

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言葉をかえると「聞き上手」ということですよね。
しっかりと相手に関心を向けて、話を聴く・・・そこから自然に出てくるあいづち。

「話をろくにきかないで、ただいい加減にあいづちをうっていると、相手には逆に不信感を抱かせます。
「こいつ、いつも口先だけ」

でも適切なあいづちを打ってくれていると感じると「話しやすい」だけではなく、心からの信用も得られるんですよね。

相手の話をしっかりと聴くというのは、自分の意識世界をどんどん広げることにもなります。


ここ数年、ネット掲示板の影響や競争原理の影響もあるのか・・・・相手の意見に耳を傾けるのは「自分の負け」と受け止める人た増えているように感じます。

対話がふくらんで共に新たな境地を作っていこう
というのが本来の人間のやりとりの大きな意義。

なのに、ちょっとでも違うところがあると、それを叩き壺層とする。ネットの掲示板などでも、論戦の負けを認めて全面的に発言を撤回するまでとことん攻撃してくる・・・そんな一方的なやりとりを目にします。
実際に私も過去にライングループにメンバーから紹介されて新たに加わった方がそんなタイプの方でひどい目にあったことが何度もあります。その人がいうには「自分は絶対に意見をかえない、ところん相手を言い負かさないと気が済まないんだ」と。
もうしわけなかったのですが、このグループラインはみんなの意見を出し合って膨らませ合うというのを大切にしているところです、ということをはっきりと伝えました。「じゃあ自分はここには合わないですね」と抜けていきました。
 
俗にいう「マシンガントーク」もそうですよね。
相手が発言する機会さえ与えないのですから「あいづち」など全くないのが特徴です。
持論を主張するだけではなく、こういう人は、反論されるのが怖いという気持ちもあるのかもですが、そもそも大前提として、持論が100%受けいられなければ「みんなは自分を分かってくれない」としているところが不自然なんですよね。

また「持論が100%正しいんだ」という思い込みも怖いです。
(あの放火事件の犯人もそういう意識世界の人ですタネ)

先生が「先手必勝 の否定的見解」「剣道の極意」とつなげて考えている点について、熟考してみることもお勧めします。
→「武道」が身近だったことの日本人は、自分が武術の心得がなくてもこうした発想を自然にとれる人が多かったと思います。
柔道でよくいわれる「「柔よく剛を制す」もそうですね。
古武術研究で有名な甲野善紀さんも「力にたよらず相手の力を受けきって」ということを強調されています。
こうしたことも現代社会では否定されがちですよね。


教育に関して言えば、教師だけではなく子ども達同士でも「あいづち」が多いクラスって人間関係が良好です。
本音の意見を安心して出し合えることによって、クラス全体の考えも深まります。
単にコミュニケーション能力が高まるだけではなく、人間としての実力も確実に高まります。

上原先生が「これもしっかりと研究する必要がある」とするものは「得点力とは関係ないことばかり」と言われます。
「そんな調査・研究をしている暇があったら、点数をあげる授業の方法を考えた方がいい」と。

でも実際には真逆だと思いますね。
特に初等教育段階で、そうした人間としての納涼をしっかりと身に着けた子こそが、中学校以降にいわゆる世間が望むような得点力・・・・入試などで知らない問題が出題された時の対応力・・・が格段に伸びます。

まして、今の世の中のようにコミュニケーション能力が失われつつある社会で生き抜いていくためには、当たり前の人間力の有無こそがものをいいます。

決して競争に打ち勝つ という意味でいっているのではありません。
共存共栄の社会の実現に向けての担い手になれるという意味です。

 

学校教育との結びつきを中心に書いてきましたが、育児(家庭教育)だとさらに重要性があると思います。

 

親子関係でも「あいづち」はカギをにぎっていますよね。
特にまだいわゆる「言葉」以前の乳児の言葉(喃語など)に対して適切なあいづちを家族の方々がしているかどうか・・・脳や社会性の発達にものすごい影響があると思います。

英語教材漬けにしているのは実は子どもには害ばかりです。