昨日は鳥山明先生、そしてついさきほどまる子の声優さんであるTARAKOさんの訃報が飛び込んできて、かなりショックをうけています。

私がアニメ視聴からもっとも離れていた時期なのですが、まる子もドラゴンボールもアニメを知ったきっかけは、教師になって最初に赴任した学校で、初日から大変お世話になった事務のS先生でした。偶然といえば偶然なのですが、なんか不思議なつながりを感じます。

*S先生は私にとって社会人としての礼儀等々も助言してくれた兄貴分のような先生(平成元年に突然死してしまいました)

ある時、日曜日に仕事に学校にいったときにS先生もきていました。
夕方になって「アッ、時間だ」といってS先生が職員室のテレビをつけたのです。
それが「ちびまる子ちゃん」でした。ちょうどツチノコのエピソード。

「これ、ちょうど自分らの小学生の頃のネタがあって、面白いんだよ」と。
実際その時の内容はツチノコのエピソードだったこともあり、なるほどな、と思いました。
その後私も観るようになりました。仮面ライダーカード、清純派の頃の山口百恵さんそして私が当時ファンだった西城秀樹さんなどのエピソードもあり、他のアニメとは違った感覚でみていましたね。

今はあまり使われないのかもしれませんが、「卑怯」という・・・日本人にとって自らの行動を律するキーワードだった言葉も飛び出して。

教室で子ども達が西城秀樹さんの歌う「走れ正直者」の歌詞の一部「リンリンランランソーセージ」が何のことだか分からないというので解説したこともあります。双子の歌手「リンリン ランラン」双子のことを双生児ともいうところからきているんんだよ・・・なんて

そんな数々のエピソードには、いつもTARAKOさんのあのまる子の声があたり前のようにくっついていたわけですよね・・・・。

初代おじいさんの声が富山敬さんだったのも非常に強い印象がありました。昭和のアニメ世代で育った人間にとって富山敬さんの声は別格です。その富山敬さんがこの世を去り、また若くしてお姉ちゃん役の水谷優子・・・原作者のさくらももこさん・・・・
そして今回のTARAKOさん。

なんか自分の少年時代の思い出に穴があいたような感覚になっています。
*ちなみに原作者のさくらももこさんは、私より4つ若いだけ、TARAKOさんは私より1つ年上です。


ドラゴンボールを知ったきっかけもS先生。校内の凧揚げ集会に向けてS先生も自作の凧を作っていました。そこに自ら描いていたのがドラゴンボールの悟空。それがもっともかっこよくあがっていて、子ども達の注目を集めていました。
キャラ絵の完成度もすごく高かったです。

上原先生からの流れで「気」ということの複合語の授業などをした際には、男の子たちは盛んにやっていましたね「気」を操るいろんなことを。うっかりすると国語の授業なのか、ドラゴンボールごっこなのかわからなくなってしまうくらい。


もちろん、ちびまる子もドラゴンボールもずっと人々の記憶には残っていくわけですが・・・・それでもやっぱり自分の中にぽっかりと大きな穴が開いた気持ちになり、かなり混乱しています。

鳥山先生、TARAKOさん
お二人のご冥福を心からお祈り申し上げます。