2月15日のブログ記事
のんびり・まったり「おじゃる丸」④ 「また会う日まで」感想&「大人が子ども達にしてあげられること」
ですが、「子ども達にしてあげられること」は何も積極的な働きかけばかりではない、ということを書いてみたいと思います。

一言でいえば「それぞれの段階にあった子どもの遊びをただただ温かく見守る」ということです。
子ども達がそうした遊びをするチャンスを、大人の思惑ばかりの「早期教育」で奪わないことです。

「見守る」というのは子どもと一緒に遊ばない、という意味ではありません。
一緒に遊んであげることは子どもにも大人にとっても大切なことですよね。でも大事なのは大人目線をなるべく持ち込まないこと。自分も童心にかえって子ども達から湧き上がってくる言葉や行いをなるべく尊重するということです。
(これも 2月14日の記事でふれた上原先生の「かえる」という言葉の感覚です)


今回「ごっこ遊び」「おままごと」について考えてみたいと思ったきっかけは、昨日個人HPの方でもふれたことにあります。


「コミュニケーション雑感-20 アニメ「ガルパン」ファンと地元との交流
ガルパンファンと地元大洗の人達との交流を通して「一緒に世界を作っている」を再確認
http://www2.plala.or.jp/WANIWANI/index.html

こうしたことが大人になっても出来る土台っていうのが幼少期の「ごっこ遊び」「おままごと」によって育まれた部分が多いのではないかということです。

どちらも参加しているみんなが、遊びはじめの段取りうちあわせ
「・・・ごっこしよう」(今日の世界の確認)
「〇〇ちゃんは何の役・・・」(それぞれの役割)
「ここは・・・ね」(場面の特定 時間の特定なんかも入りますね)
で確認しあったことを守ることで成立する遊びです。

本気で成り切ってしまう子もいれば、嘘んこだよなとちょっと冷めた子もいれば、いろいろでしょうけど、とにかくその「約束」は守るという姿勢はそれぞれ持つからこそ遊べるわけですよね。


この「約束を守る」というのが、
みんなで仮に決めた世界を信じる 
だからこそみんなで楽しい時間を共有できる 

という境地に浸ることが重要です。


昨日の個人HPにあげたのは、アニメ「ガールズ&パンツァー」(通称 ガルパン)
「県立大洗女子高校」に通う少女達が中心になって全国各地のライバルと女子のたしなみである戦車道の闘いをするというお話。
「県立大洗高校」は実在しますが、「大洗女子高校」ではありあせん。
もちろん登場するキャラも学校も実在しません。
でも街中の描写では実際の街並みがかなりリアルに描かれています。

だから、実際に大洗の街を巡っていると(聖地巡りですね)、「ああここを戦車が通ったんだな」等々の気分になれるんですよね。
自分もアニメの中の登場人物になって混じっているという感覚。

その舞台となった大洗町でのイベントを紹介しながら書いた記事です。


だから毎年恒例のお祭りに全国からやってくる何万人ものファンの方々も、単なるアニメイベントに来ているというのとはちょっと違う感覚になっている方々が多いようなんですよね。
いわば「故郷に帰っていく」
地元の方々もガルパンキャラたちが実際に大洗町の住人であるような世界を作っているので、尚更そう感じてしまう。
そうやってみんなが「架空のアニメの話であっても、本当だと信じあう」ことで出来あがている幸せな空間。


こういうことって、幼少期の「ごっこ遊び」「おままごと」気分の延長だと思った次第です。


「一人だけで自分の世界に浸る」というのが個人尊重の実現、と考える雰囲気が主流になっている現代社会ですが、やっぱり「人間」である以上はみんなとの関りも必要だし、心のどこかでは欲しているのではないでしょうか。

みんなで一つの世界を信じ共有する・・・・それはみんなに無理やり合わせて集団に埋没する・・・・というのではなくて、独りでは味わえない 「みんなと共に大きな一つの塊となった 別の自分」という感覚です。

私は決して「一人遊び」とか「一人だけの世界に浸る」というのを否定はしません。
むしろこれもとっても大切だと思っています。一人であっても想像力の翼を無限に広げていけるというのも大切ですから。

ただ、一人一人の想像力の伸び方広がり方(上原先生はそれを イメージ運動 と呼んでいました)には必ず 偏り があります。

だからみんなと共有して作る世界も大切だと思うんです。それぞれの偏りが重ね合わさってどんどんと大きなマルになっていくイメージです。自分が仲間に補完されると同時に、自分も仲間を補完している・・・・そういう人間関係の意識にも「ごっこ遊び」「おままごと」は通じていると思うんですよね。




☆個人的な苦い思い出がちょっと変革できたお話
いじめ等々で周囲とのトラブルしか思い出にはない、という方々がいらっしゃるのも事実です。私もいじめにあっていましたから一人で過ごす時間が一番ほっとできる・・・だから自宅で自分の世界に浸っていました。

 

母には毎日厳しく叱られましたね。「友達もいないなんて!」と。
普通に友達ができないなんて、どれだけ人間としてはダメなことかさんざん毎日言われました。

今思えば、このまま私が周囲と関わらない人生を送るようになったら大変 という親心もあったんだろうなとは思います。
でも当時は「そんな当たり前のこともできない自分は本当にダメなんだな・・・」
という方向にばかり気持ちがいって、ますます自己否定の塊になってしまいましたね。

ただ、、そうなってしまったのは、いじめ等々をして、「他人って嫌なやつらだ」と思わせた連中が悪いんですよね。
自分を責める必要はないんですよね。
でも「おかしいのは自分」って思ってしまう。

当時は「いじめられる側にも悪いところがある」という考え方がまだまだ主流だった時代とうのもありました。
だから小5の時に、あまりに毎日クラスでひどいことをされるので担任に相談したことが1回だけあります。
でのその話が母に耳に入ったときに大変だったんです。

「告げ口は卑怯者のすることだ!!!!」

アニメ「ちびまる子」で藤木君が卑怯者よばわりすることがありますが、当時は大人でも子どもでも「卑怯者」というレッテルをはられることもものすごく不名誉というか、「人間として最低だ」くらいの感覚でした。
母の口からその言葉が出たことで、このままではこの家の子でいられなくなる、という恐怖心にかられ、以来学校でどんなにひどい目にあっても担任にも誰にも相談できなくなりました。


そんな私がちょっとかわれた・・・というのは、敵のような人間ばかりではないと思えた出会いの経験。
そんな出会いがあれば、違う風が心に吹くと自然に思えるようになったことです。

自分にとってはそれが中学生の時に近所にできた児童館。2階は地元の小学校の学童保育所でした。(小1~小3)
あるきっかけでそこに出入するようになって、子ども達が関わってきてくれて「また明日ね!」って笑顔でいってくれることで毎日のように通うようになりました。(当時中学校の課外クラブは本当に任意参加で半分近くは帰宅部でしたね)

その時にごっこ遊びにも大分付き合わされました。
付き合わされたという言い方だとあまり積極的でないように感じるでしょうか。
実際、弟や妹とは小さいときにちょっとはやったものの、他人とはほとんどやった記憶がないので、なかなか低学年の小学生レベルでその場を信じきって、とうのが出来なかったというのが正直なところ。

 

もっといえば、「遊ぼう」と寄ってきてくれるのは嬉しかったのですが、長年クラスの邪魔の扱い。近くを通っただけで「寄ってくんじゃねーよ」と冷たい視線を向けられてばかりいたので、自分が歓迎されるということへの戸惑いが強かったんです。

「自分はみんなにとって邪魔なんだ」「生まれてきてはいけなかったんだ」という小学生の頃からの想いは還暦をすぎた今でも自分の心の奥底にドーンとあります。だから自分から人の輪に入る等々のことは今でもものすごく苦手ですね・・・・・


でもそんな私の心の中に、まずは児童館で出会った子ども達が風をふかせてくれた。
それをきっかけに地域の子ども会活動のようなことにも関わるようになって、同じような世代の人達との交流をするようになった。
で、いつしか教育の道を目指すようになった・・・という次第です。