参考サイト

和の心 暦と行事 「春一番」  https://imidas.jp/rekigyoji/detail/L-55-088-08-02-G222.html

昨日、例年より14日早く関東で春一番が・・・というニュースがありました。
水戸でも午後から風が強まり、一晩中強い風が吹いていて、今もまだ強めです。

現在でこそ、春一番をはじめとして四季に関する気象現象は「・・・ということで・・・が起きる」と科学的に説明されています。
しかしそうした事が解明されていなかった頃の人々の感覚はどうだったでしょうか。

因果関係がひっくりがえっていたかもしれません。

以前何かの本で読んだのですが、たとえば渡り鳥。
その季節になったからよその国から飛んできた・・・というのが現代人の感覚ですよね。
でも昔の人達にとっては、違っていたと。
その鳥が飛んできたから季節が転換した・・・・その鳥が次の季節を運んできてくれた・・・という感覚だった、と。

こんな風に考えると、春一番の吹くような春めいた気象条件がそろったからではなく、毎年きまって吹くこの暖かい強風が「春を運んできてくれるんだ」という感覚というのが、人間として素直な受け止め方だったのではないかということです。



「科学的な知識」「合理的な説明」を「感覚が上回る」というのは因果関係に限ったことではありません。
分かりやすいのは「朝日」「夕日」ではないでしょうか。

日の出をみて「お日様が昇ってきた」、夕方になって「夕日が沈んでいく」と今でも当たり前に使っています。
これって学問的にいえば「天動説」ですよね。

知識としては、実は動いているのは地球の方。朝日・夕日も含めて太陽が動いてみえるのも、地球そのものが自転しているからだというのが分かっています。
でもやはり人間は、自分の感覚に正直ということでしょう。

少し話が飛躍しますが、これをもっと広げると「頭では分かっているけど・・・」という感覚のことになってきます。

よく理屈でものを言いがちな人は「正しい事」「まっとうな事」を他人に対して突きつけがちですよね。
そのすべてが悪いわけではないですが、「心の問題」などがからんでいると要注意です。
余計に相手を悩ませてしまうことが多いから。

*このことについては個人HPで現在連載中の「コミュニケーション雑感」でも近々とりあげる予定です。




冒頭紹介したサイトにもあるように「春一番」は海難事故などを引き起こす「危険な風」というイメージが古くからはあったということです。
そのイメージが大きく転換したきっかけになったものの一つに昭和を代表するアイドルグループ、キャンディーズの大ヒット曲「春一番」があったかもしれません。1976年 (昭和51年)3月1日に発売・・・私が中学生の頃です。
この前の紅白歌合戦でも元メンバーだった伊藤蘭さんが披露されていましたね。


歌詞サイト  https://www.uta-net.com/song/180697/

上原先生的な言い方をすれば 意識の転換(トランスフォーメーション)の歌、とも言えましょうか。
次のステップに向けて元気に踏み出しましょう、という歌。
このブログで先日書いたことでいえば「裁断と継続」「死と再生」の歌。(この「死」とは 日常でいえば 停滞 というような意味です)

この歌の根底にあるのが、まさにさきほどの季節の因果関係でいえば

「春一番が吹いた から 春を運んできてくれた」
         ↓
「春一番が吹いた から 気持ちを切り替えることができる」


よく「プラス思考で前向きに考えなければダメだよ」ということが言われますよね。
まさに正論です。
でも思考や意志の力で自分を変えようとしても、心が弱ってしまっている人ほど、そんな思ったようにかえられません。
かえられないと、正論をひりかざす人は「だからそんなことじゃダメだって言ってるじゃない」とくる。
「それができれば苦労はしない」と思っても、それを反論できないことが多いですよね。
結果として「やっぱり自分はダメな人間なんだな・・・・」とさらに落ち込み、やがて絶望するわけです。


でも、何かがきっかけにいつもまにかわずかでも変化することってあります。
フト「あれ、今自分はいつのまにかちょっと前向きになっていたかな?」などと気が付く
そんな小さなことの積み重ねがやがて大きな変化へとつながっていく。

大きな変化をもたらせてくれる・・・心の春を運んできてくれる。

「春」という言葉は、日本語の音声の感覚でいえば「張る」と通じているようです。
つまり エネルギーが満ちてくる
そのエネルギーが一斉に放出された象徴が 桜の開花 とか 新芽 とかで感じられている。

時折「入学式などを外国にあわせて9月にすべき」という議論がされますが、やはりこの四季折々のはっきりしている日本人の感覚では「新たな人生のスタート」は、このエネルギーが満ち溢れてくる「春」にこそふさわしいのでしょうね。


*全くどうでもいいことなのです・・・・

特にキャンディーズのファンだったというわけではないですが、昭和世代ですからヒット曲は自然に刷り込まれています。それがまさに開花したのが社会人として教師をしていたある年のこと。
私は小学校時代のいじめが小5の時の音楽の専科の先生の「あなた音痴ね」の一言でさらにエスカレートしたことから、カラオケに誘われても行かない、宴会でカラオケを勧められても絶対に歌わない、というので有名でした。職員旅行の2次会でみんながホテルのカラオケにいっても独りで部屋にいました。

それがある年の町の中堅職員の研修旅行(町内のすべての小中学校から2名ずつ参加)で状況が一変しました。
引率の某小学校の校長先生。ふだんは大変に温和な方だったのですが、お酒が入るとあんなに人が変わるとは・・・・
ホテルでの飲み会でみんながカラオケで歌う流れになり次々に歌っていきます。
とうとう歌っていないのは私だけ。その私にコワイ顔で睨みながら「歌え!」と強要。断ったのですがどんどん不機嫌になってきて場の空気がみるみる悪化。(もうパワハラです)

他校の先生方もこのままではまずいという顔をしてみんな私の方をじっとみつめている・・・・

無理やり「ホラ、何か歌え!」と適当にページが開いた状態で渡された曲リストで、パッと目に入ったのが「春一番」

イントロがはじまるとそれだけで空気がかわりましたね。
何を歌い出すのかと思ったら春一番が流れ出したのですから。もちろんその場の誰もが知っている歌ですし。
で、超音痴の私が裏声を使って滅茶苦茶な音程で・・・でもふりつけは可愛らしく(?)歌ったものだから、宴会場の盛り上がりはMAX。某学校の校長先生も大満足でおわりました。

この職員旅行、町内のすべての学校からの先生方が集まっていたからさあ大変。私の春一番がとっても面白かったと町中の学校で話題にされてしまいました。当選それがうちの学校の先生方の耳にも入ってしまって・・・・
「今まで絶対歌わなかったくせになんだ」ということで次の宴会では歌わされ・・・もうその後の宴会ではカラオケがはじまっての終盤にさしかかると勝手に春一番が名流されて・・・それは職員の宴会だけではなく、PTAでの宴会での私の状況を大きく変える事になりました。

そういう意味では、私の人生の中に大きな風を吹かせてくれた歌ともいえるんですよね(笑)

*調子っぱずれでも裏声で振り付けしながら春一番を歌うのってものすごくエネルギーを使うんですよね。
今は体調的に考えても無理だと思います。出だしの第1声からむせて激しく咳込み呼吸困難になるでしょう・・・真面目にいって(苦笑)