エンマ界にあった「満月ロード」を通ったら現代に…というのがおじゃる丸のそもそものはじまりでしたよね。

この穴を通過したら別世界 というのは、人間が共通に持っているイメージパターンの一つです。
その元型は子宮という世界から 産道 という穴を通過して この世界に出てきた ということの印象なのでしょうね。
有名なのは川端康成の小説「雪国」の冒頭でしょうか。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」

随分前ですが、何人かの先生方と車で冬に新潟にいったことがあります。
関越トンネルを出た瞬間、一面の雪景色でまさにあの小説の冒頭はこういう感覚だったんだなと思いました。

このイメージパターンはいたるところにありますね。
宮崎アニメにもよくでてきますし、昔話だと「おむすびころりん」なんていうのも同類です。


*物事としては別々でも、こうした共通性があれば「同類とみなす」というのを上原先生の師匠である民俗学者の折口信夫先生は「類化性能」と呼んで重視していました。
→このことについては 先日ホームページ http://www2.plala.or.jp/WANIWANI/index.html のコミュニケーション雑感
12 違う話題の裏に潜む「共感できる部分」 「かまくら」を例にして
13 違う話題の中に接点を見いだす ~数学的発想の知恵~
でも解説しています。


おじゃる丸の第一話をみると、満月ロードのネタって、京都の「六道珍皇寺」にある「小野篁の井戸」と思われます。
小野篁は昼間は朝廷勤務、夜はこの井戸を通って地獄で閻魔様のお手伝いをしていたという伝説の人物です。
https://bqspot.com/kansai/kyoto/100

このお寺は、京都市内からみると鴨川にかかる「松原橋 旧五条大橋)を渡って清水寺方面に徒歩数分の場所にあります。
道の途中には「幽霊子育て飴」の売っている小さなお店もあります。

このあたりは「六道の辻」と呼ばれていて、あの世とこの世の交差点と信じられています。
いってみれば 鴨川 は 三途の川 のイメージ。ですから川向うは異界というイメージが昔はあったようです。

おじゃる丸の第一話では、おじゃるの乗った牛車が川沿いをのんびりと進んでいるんですね。
で川の向こう側にはなにやら怪しい世界が。
電ボが、そこは エンマ界 だから絶対に入ったらいけないというようなことを説明します。
でもその後、おじやるは川を渡ってしまい、そこでエンマとであい・・・・シャクをとって逃げているうちに満月ロードに飛び込んでしまった・・・という流れ。

穴の先が地獄か現代社会かの違いはあれど、異世界であるには違いありません。


昨日ふれた「子どもは神の内」というのは出口側にいる人達からみての受け止め方ですが、入り口側から入っていく立場にとってもこれまでとは違う世界に飛び込んで、違う自分に変容していく、ということになります。

新しい自分に生まれ変わるという感覚。
通過でなくてもいいんです。「穴」あるいは「袋」という閉じた空間に一度自分の身をおいて、そこから出てくるイメージ。
それは「生まれ変わり」に通じます。

それこそ毎日布団にくるまって寝るのもそうだし、修行の人達が洞窟やお堂に籠るのもそうです。
(これについては今後もいろんな話題でふれたいと思います)

別世界から来た存在によっ「こちら側の意識」が変化すると同時に、別世界から来た「あちら側の意識」も変化する。
それの相互間系がどちらにとっても必要だし、有意義なこと・・・・だから「人事異動」なんていうのも本来はあったはずなんですよね。