ここ何年も観てはいないのですが、最初の頃はよく観ていたアニメ「おじゃる丸」

きっかけは当時家庭教師をしていた中3の女の子。
「おじゃるはいい」と時折つぶやいていたので、どんなキャラなのか教えてもらって観始めました。
最初にみたのは確かカズマと初めてお風呂に入る回だったかな・・・・そこに小鬼が乱入して。

平安朝らしき妖精界から満月ロードを通ってやってきたという雅なお子様。
今の生活リズムや価値基準とはまるで違うというのがキャラのポイントですね。

でも視聴者の子ども達にとっては「プリンが大好きになった」ということで共通感を抱いたのではないでしょうか。
もちろんおじゃる丸のまったりペースへの憧れを抱いた子どももいるでしょう。
常に「早く 早く」と家でも学校でも追い立てられている子たちなどは特に・・・・


上原輝男先生はそうしたそれぞれの人間が心の中に持つ様々な「軸」を問題にしていました。
特に成長の過程で大人や社会の影響を受けて獲得した軸ではなく、生得的にその子その子がもって生れて来た軸をです。

おじゃる丸の中にある基準は現代人とは大きく違う。
マイペースだし、時には我が侭にみえることだってあります。
私におじゃるを紹介してくれた中学生も、数ヶ月後に「おじゃるってかなり我が侭なんだな、って最近思うようになってきた」とコメントしていました。


おじゃるのライフスタイルは、平安朝の雅なお子様とは大きく違うけど、もしかするとそれは「純粋な子ども時代」そのものなのかもしれません。
時代や状況によって違いはありますが、日本古来の子育ての発想って、7歳までは「神の内」の存在だから、あまりとやかく言わないんですよね。人間の基準で動いていないと。

父方の祖母のエピソードでこんなことがありました。
私が中学生の時に、従姉の4歳になる男の子がとってもヤンチャで、私のものを勝手にいじって壊してしまいました。
私は怒ったのですが、祖母たちはニコニコ笑いながら

「しょうがないよ、神様だから」

と。
正直その子を叱ってもらいたかった私としては、なんで悪いことをしたのに叱られず、ましてや「神様」とされるのかが全く理解できませんでした。私の母はかなり躾に厳しくて幼い時からビシビシしかられていたというものあります。

でもこの時の祖母の感覚っていうのが、まさに「まだ人間の基準ではなく生きている存在なんだ」というのが、理屈ではなく「生活感情」そのものだったわけですね。
大人の思い通りにならないからといってキーキーカーカーとイライラしない。
「しょうがないよ。神様だから」
と優しい微笑みで包み込んでしまう。

まさにこの前紹介した絵本「のんびりマジマジ」https://ameblo.jp/tanukidayo/entry-12839880644.html の「しょうがない」とか、水戸周辺にあった方言「しゃーんめ、かまめ、いがっぺ」の精神です。



ではいつまでも本人の時には我が侭も許すのかというと、そうではありません。
それを人間として整えていくのが「通過儀礼」です。
七五三を過ぎれば「今日から人間だよ」ということで人間としてのルールを躾けていく。
そういう節目節目をきちんと用意して「今日からは」と社会的ルールを守るような意識を芽生えさせていく。

そして元服を迎えれば完全に大人扱い。
武士の家だったら合戦に出て命懸けで闘わなくなるわけです。
女の子だったら立派に母親になっていく。

今の成人式の意識とはかなり違いますよね。


上原語録より

・『子どもにとっての潜在的な時間・空間』とは何かを探る必要がある。
 大人は『大人の時間・空間』で子どもをしばっている。

 子どもが自分の位置をどこにとろうとしているのかを探るために『おうち』意識を調査する。きっと、意識空間と現実空間の落差によってイメージが狂い始めているのではないか。    (平成二年六月例会)

・ 子どもの霊性をもう一度見直さなくては。霊的なものを子どもの時間・空間の中に見なくては・・・
              (平成四年二月例会)


国によってはなるべく早くから子どもを現実意識に目覚めさせるべきだ、という主張が主流のこともあります。
でもそれは<日本人>の体質には合わないと感じています。
どれがいい、というのではなく、作物の種類によって適する育て方があるように、<日本人>に一番合うのは、この手順だと思うわけです。

(もちろん のんびり・まったき ではない基準を持って生まれてきた子には別の配慮が必要ですが、大原則は同じです。)


日本人は急速に欧米化をとりいれ、教育システムもガラガラとかえた。その反動が噴出しているのが現代社会かもしれません。


上原語録をもう一つ

・現代の子どもを救う唯一の道はイメージ。子どもはこの中でのみいきている。
 現代っ子は漫画とファミコンという夢の世界に逃げ込んでいる。        

 子どもの行動はイメージが働かなければない。イメージは想像した結果ではなく想像力なんだ。
               (平成七年二月例会)



ちなみに私におじゃる丸を紹介してくれたもう立派な社会人ママさんが、ラインでこのようなコメントをくださいました。

「子供ができて、テレビとか一緒になって見て、子供と同じような目線で見てたり、面白く感じたりするものもあるけど、おじゃる丸は、やっぱり勝手で呑気だなーと思って見ています。(と言っても、そこまで普段、真剣に見てないかもだけど)」

そして従妹がパン作りをして過ごしたというコメントに対して

「パンづくりすごいね🎵
そういうお家時間いいよね😃
家族とのゆったりした時間っていいよ」


意識的にこうした時間を作って、子どもも大人もリフレッシュしたいものですね。



明日も「おじゃる丸」ネタです。