現在放送中のアニメ「薬屋のひとりごと」を観ているのですが、主人公の少女 猫猫 は薬・・・さらには毒に対して異常なほどの好奇心をもっています。そんなアニメをみていることから、「毒」という言葉についてフト考える事がふえています。

 

なので今回は「毒」ということからはじまって、最近よく耳にする「毒親」についても考えてみようと思います。

そもそも毒って何なのか・・・という学問的なことは抜きにして気ままに書いてみます。
大雑把にいえば人間にとって有効であるならば 薬 、害の作用のあるものが 毒 ということになりましょうか。

ただ、この線引きだけだと当てはまらないのが普通なのかもしれません。だから「毒にも薬にもなる」という言葉があるのでしょうし。

例えば睡眠薬とか鎮痛剤とかを大量に飲んだらどうなるか・・・・命の危険があることはよく知られていますよね。
お酒などもそうです。適量ならば「百薬の長」にもなるし、飲み過ぎれば体を壊す。大量に一気飲みすれば急性アルコール中毒で死に至ることもあります。アルコールが分解できない体質の人ならば少量でも危険なわけですよね。

かなり前ですが、晩酌でお酒を飲んでご機嫌だった父親が、ふざけて3歳くらいの娘さんにコップ一杯のお酒(おそらく日本酒?)を飲ませたところ、旧制アルコール中毒で亡くなってしまったという悲劇がありました。

ちなみにこうした場合、仮に身長が2倍違っていたとすると、体の体積は3乗の比になるので8倍違うことになります。
大人にとってのコップ1杯は、小さい子どもにとってコップ8杯に相当するわけです。おまけに子どもの場合は肝臓でのアルコール分解能力が未発達。これではたまったものではありません。

お酒に強い大人だったらほろ酔い気分でご機嫌になるお酒が、まさに毒薬になってしまう。

(こうしたことはたばこの煙に対しての影響の違いでも言われていますね。肺の容量だって同様に3乗となる。同じ部屋にいる子どもやペットへの悪影響は吸っている大人どころではない。


このように「適量」ということだって個人差は大きいわけです。

ちなみにあのアニメの主人公 猫猫 は大の酒好きでもあります。ただ、様々な毒に対しての耐性がみについてしまったことから、アルコールへの耐性もアップしてしまい、かなり飲んでもいい意味で酔えないようです。


猫猫の極端な好みの中には、毒を喰らう というのがあります。毒が全身にまわっての苦しみが快感であると。フグ毒も「あのピリピリしたのがたまらない」なんて言っています。

これもアニメではなく以前実際にあった話ですが、「フグの肝を入れなかったらタラチリ鍋と変わらない」と豪語していた食通の方がいらしたそうで・・・・やはりピリピリくるのがたまらないと言っていたそうです。で、ある時とうとうフグ毒にあたって死んでしまった。フグ同の強さって個体差がかなりあるそうですね。たまたま何度か食べたものは弱めだっただけなのかもしれないですよね。




同じ物質であっても「毒にも薬にもなる」というのは、別の言い方をすれば「両方の側面をもっている」とも言えます。

 

例えば強い毒性があることで知られているトリカブトも、漢方薬としても使われています。漢方薬にはそういうものも結構あります。
神話的発想・心意伝承の中には、このような「両義性」について暗示しているものなどがたくさんあります。
「陰陽二元論」ということばがありあすが、<日本>の特徴は「陰陽一元論」といえるかもしれません。


ここで最近よく耳にする「毒親」ということについても考えてみましょう。
ネットなどで調べると 親(大人)の権威や力をふりかざして、子どもに精神的、肉体的ダメージを与える親 というような親のことをさすようですね。
親による子供の様々な虐待が増えている現代社会では、薬の側面などないような100%毒という場合が少なくないというのが悲しい現状です。

こうした場合の親たちの行為は絶対に許されるものではありません。

ただ、ネットやテレビのインタビューなどで答えている若者達の発言の中には、特に「精神的苦痛」の部分を非常に拡大解釈で「うちの親は毒親だ!」と言っている場合も増えているような気がします。

具体的にいえば「自分の思い通りのことをさせてくれない」=「ストレス」 だから、うちの親は「毒親だ」という論法です。「勉強しなさい」「スマホやゲームばかりするんじゃありません」「好き嫌いなく食べなさい」「ゲーム課金なんかダメです」・・・・・・

 

そうした自分の思い通りにならない親の発言がすべて「うちの親は毒親だ!」と決めつける理由になってしまっている、そんな子ども達や若者達が多いです。

でもこれらの注意って、本当に我が子の成長を願えばこそのものなわけですよね。

子供にとっては「苦い薬」でも、人間として成長するには大切な薬 とたとえられるでしょう。



こうした若者にとって「毒親ではない親」ってどんな親になるのか
「何でも好きなことをさせてくれる」「好きなだけお小遣いをくれる」・・・・・・
だいたい今の子がゲームなどの課金で使いたがっている金額ってケタが違いますよね。数万~数十万。

現代社会での数々の物質的誘惑に対して、親が全くガードしないで無条件に子どもをされしたら、あっというまに人間性を失っていってしまいます。

世の中すべてが自分の思い通りになると錯覚する・・・・欲望に対してどんどん歯止めがきかなくなる、
やがて金品ほしさの窃盗・強盗や、さらなるとんでもない反社会的事件を起こしかねません。

でも、我が子のことを真剣に思っての行為までもが疎まれて「毒親」呼ばわりされる。
これは学校の先生にもいえますね。本当に子どもの成長を願って、時には厳しく叱る先生がどんどんパワハラ教師として悪者扱いされています。(体罰を容認しているわけではないですよ。ただ手はあげなくても、時には毅然とした態度でビシッと叱ることも必要です。)

子供にとっては「毒」としか思えないことの中に、親の愛情に裏づけられた、豊かでしっかりとした人間になるために欠かせない薬効があるとうことは忘れて欲しくないんですよね。

将来とりかえしのつかない人生を送るようになってから「もう少しちゃんということをきいておけばよかったかな・・・・」と後悔しないためにも。


余談ですが、私の母親は躾に厳しかったのですが、特に食事関連は細かかったです。
例えば「お菓子は体によくない」ということでおやつなどはほとんどなし。チョコレートなどが堂々と口に入るのは年に2回の遠足のおやつだけでした。親戚の家族と外食した時なども、みんなは食後に「チョコレートパフェ」とか「プリンアラモード」とかを注文しているのですが、うちは絶対ダメ。当時はそんな母を随分と恨めしく思っていたものです。(これらのものを初めて食べたのは高校で部活にはいって、帰りに喫茶店にはいるようになってからです。)

子供の頃からずっと思っていたのは「自分でかせげるようになったら、思う存分好きなものを食べてやるぞ!」でした。事実就職してから他の先生方とファミレスなどで外食なんていうときには、主食2品、ピザなどのサイドメニュー1品、そしてデザートにパフェなどを1~2品というのが定番。自宅でも味噌汁がわりにビールを飲んで、週に1~2回は食後にケーキなどをつまみに洋酒を飲む・・・・なんていう食生活を送りました。子どもの頃からの反動がとんでもなくたまっていたのが、一気に堤防が決壊してという感じです。

その結果毎年の職員の健康診断は悪化。特に肝機能がアウトでこのままでは1~2年の命、と言われるほどになってしまって退職に至ったんですよね(苦笑)・・・何故か血糖値はそれほどでもなかったんですけど、心臓をはじめとして肝臓以外にも全身ボロボロでした。


健康な食生活というのは確かに大切なことですが、あまりに子どもにそれを強いると私のような反動を起こす場合もあるのでご注意を!!!


*「毒親」と同様に「親ガチャ外した」という言葉も「何でも思い通りにならないものはダメ」という発想がありますよね。
これなんか親からみれば言う事をきなかいどころか親を親と思わない我が子を「子ガチャをはずした」といったっていいわけですから。それでもちゃんと食事を作ってくれたり、成長に本当に必要なお金はつぎこんでくれているんですよね。

☆重ねていいますが、本当に身勝手な虐待などをしている親を擁護しようという気は全くありませんので、その点誤解のないようにお願いします。