たぬきベイビーのひとり言

たぬきベイビーのひとり言

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TVで宮崎県を舞台にしたドキュメント番組を見た。

予ねて報道されていた牛の口蹄疫を扱ったものである。

その地域の関係する方々にとっては大変な問題という捉え方しかしていなかった私であった。

でも今回の番組では、酪農家の若い夫婦の過去から今、そしてこれからの人生にかかわる一大事として受け止める事ができた。

この若夫婦が、自分であったらどうしていただろうか!とも、思いをめぐらした。

生き物の命を戴く食にかかわる仕事に誇りと生きがいを見つけられた喜こびもつかの間、手塩にかけて育ててきた私達の宝物をこんな状態で生き埋めにしないといけない現実をどうしても受け止める事ができないと途方にくれていた。そしてその日が来てしまった。共感に咽びながらこれ以上の広がりを防ぐためにはと涙しながらの知事さんや保健所、組合の方々の言動と映像に只只私も涙がこみ上げてきた。

この涙はいったい何だったのか。この現実はこれで終わったわけではないのだ。

このまま涙で終わらせてはいけない。でも過ぎ行くときの流れと新たな現実に考えても答えの出ない事ばかりで疲れてしまうようだ。

この年になって、久しぶりの涙が、自分では理解できない今の気持ちである。



能楽を趣味としている私の拘りを書き綴ろう。

出生が加賀の国であり、育ちが県都金沢に縁が多かった事がかかわりがあるといえる。

歌手・北島三郎の「加賀の女」には(謡が降る)と書いて「歌がふる」と唄っている位である。

とはいえ、百姓の五男坊にに生まれ育った私には謡いや能楽とは無縁であった。

ところが、高校・大学そして数年間金沢が仕事の舞台であった事とそこでの出逢いも無視は出来ないとは思う。特に芸事や特技無しの男が、一つ趣味らしきものを持ちたいと本気で考えた事があった。それは姪っ子の結婚式であった。朗々と謡いながら、仕舞を舞われたと方と出遭ったのである。

その格好の良かった事、気品というか貫禄というか重々しい高貴な雰囲気に圧倒された事が記憶に生々しい。

あれが「能」のそして「加賀の宝生流」の何たるかは存じていなかった。

後々改めて決定的な出逢いがやってくるわけだが、今回は割愛して又の機会にとどめておく事にする。

師匠の門を叩き正式に入門を許していた抱いたのが38歳の秋であった。今年が35年目になろうとしている。


今我が家には、退職金を果たし、尚且つ家内からの資金援助で出来上がった稽古舞台がある。12年目の歳月が過ぎている。この舞台が日々の私を知っている。勿論、謡と仕舞いの稽古舞台である。殆ど毎う日舞台は活用されている。この夏場は、新曲「鵺:ヌエ」の稽古に汗をかいてきた。


10月に東京宝生会館で発表会が予定されている。今特訓の真っ最中である。

月一度の師匠の稽古では間に合わないので、特別に先生を紹介して戴き、この3ヶ月でどうにか後一歩までこぎつけられた。これから仕上げの段階だが気を抜かず頑張りたい。

10月一杯はヌエを楽しもうと考えている。


こだわってきた年月に比べて、その出来は恥ずかしい限りであるが、それでも良いのです。継続の力を信じて楽しんできた。これからもこの流れで行くつもりである。その流れについても一言記しておこう。


私の趣味の中には、能楽だけではないのだ。他に観劇・旅行・国際交流の趣味もあげねばならぬ。

観劇では仲代達也のファンで、能登中島の会員だ。旅行では、国内と海外共に世界遺産めぐりにこだわている。交流ではアリラン会の世話役だ。この10月はスペイン・ポルトガル行きと萩・津和野行きが予定されているのだ。

  趣味を追いかけ楽しんでいる現状を記しました。                         以上