考古学者になりたいと思っていた頃がある。

考古学者といえば吉村作治先生くらいしか知らない子どもだったが

自分も発掘に携わりたいと大学に進学する。

 

 

ただ結局、考古学の勉強はしなかったと記憶しているえーん

 

私の怠惰が割合大きいが

言い訳をすると、最初に選んだ考古学の本が難解すぎて

足踏みしてしまったこと。

もう1つは、考古学研究室の教授を

とてつもなく嫌いになる事件があり

その嫌いというエネルギーが教授個人を超えて

考古学から距離をとるようになってしまったこと。

 

したがって、私にとって考古学とは10代の頃の熱い夢であると同時に

自ら諦めてしまった複雑な思い出でもある。

 

大学を卒業してしばらくしたとき

祖母が某古本屋でとある本を手に取り「橿原考古学の森先生の本だから買おう!」と

私に言ってきたことがあった。

そのとき、森先生のことはほとんど知らなかったが

祖母が名前を覚えている学者は珍しく

私もその名前を覚えてしまった。

 

それから、さらに時間が経過し

森先生の本は数冊読んだが

今回初めて『わが青春の考古学』をを読むことができた。

 

先生の自伝であり

戦後の混乱期のなかで

遺跡発掘と遺跡保護の必要性を早い段階から考え

そのために行動している様子は、受け身姿勢である自らの学生時代と比べて

何とまぶしいか。

 

また安易に見たい結果と遺物を結びつける行為には

慎重な姿勢を貫いておられるところも言うは易いが行うは難しな問題だと思う。

 

 

昔、祖母は橿原考古学に行っていたらしいので

もしかすると直接、森先生に会ったことがあるのかもしれない。

 

今となっては確かめることが出来ず残念ではあるが

森先生の自伝から自分が進路を決めるほど好きだった考古学の熱と

祖母もしかすると同じ熱と向き合っていたのかもしれないなんて

 

自分勝手に想像する。