おい、 | たらいまわしの

おい、

どうした、マスコミよ。ソ連の蛮行をなぜ報道しないのだ。反政府発言者は思想の自由など認められず、ついには拘束され監禁され命をほぼ確実に政権の意向で人為的に奪われたし、ソ連の現状を受け入れることができず他国へ亡命したソ連元軍人は亡命先で暗殺された。そしてその事態を国家を裏切った報いと断じてはばかることがない国。それがソ連だ。そのことだけでも暗殺の主体はソ連であると判断できる。自由もへったくれもない独裁政治の恐ろしさをこそ知らねばならないのにそれに触れる日本マスコミは少数に限られる。

ウクライナの無法侵略ももちろんソ連が主体で、唐突に起こったハマスのイスラエルに対する非人道的テロ誘発もソ連がそそのかしたといわれているというのに、マスコミはそもそもイスラエルが受けたテロ被害の無法性にはもはや言及せず、ただひたすらパレスチナ民族の悲惨な現状を招いているイスラエルの軍事行為をのみ非難する。イスラエルにちょっかい出して無事で済むはずがないというのは国際社会の常識だというのに、手を出したほうも考えが甘いのだ。まるで中国に弱小国家が攻撃したようなもので、その結果は火を見るより明らか。しかし、ほぼ確実に日本のマスコミは中国がその後展開する攻撃国への侵略は正当化して、手を出したほうが悪いという報道をするだろう。つまりはそういうことだ。恣意の主体はマスコミが握っているということ、それが日本の危うい現実だ。

無法発現者ではなく、受動的被害者を無視するかのごとき日本のマスコミは「おい、どうした」などど悠長な問いかけではなく、もういいかげん無法への肩持ちはやめろと真正面から批判する対象だと日本人は共通認識する必要がある。少なくとも主要報道機関は公平に種々の事象のより合法的、合理的、遵法的に国民が判断できる材料を提供する機関ではなくなっていることを前提とせずに、報道内容そのままの判断しかできない国民になってしまったら、この先無事では済まない国になってしまうだろうが、そうはさせじ、必ず日本人の良識は偏向を凌駕すると信じて疑うことはない。