憂衣 | たらいまわしの

憂衣

論理破綻の典型で、ただのクレーマーなど相手にしないのが正解だ。

地方交通会社のCM二次元イラストの女性の姿が、くびれや腰のひねりが強調されていてけしからんという文句が寄せられたというちょっと前の話題がまだ記憶に新しいが、ならば世に跋扈するどこぞの国の芸能事務所に仕込まれた、腹出し足出し腰振りダンスと歌らしきものを披露している女性グループたちは、いったい先にクレーム対象となっていたキャラクターイラストと問題の意味合いのどこが違うというのか。いや、一層の女性強調という点でそれこそクレームの嵐となってしかるべきではないか。しかし実際はこの偏り具合なのだから、端から無視で問題なし。

同じように最初から破綻している論理で、弱者蔑視、差別だヘイトだ日本人〇ねと騒ぎ立てる一派も同等の扱いをするべきだろうに。だいたいもともとがタメにする目的の問題提起をまるっと利用してマッチポンプ的にでっちあげ問題の種とする報道機関がいるから、悪しき相互利用関係を用いることができる。よってさらにでっち上げ細胞組織はつけあがる。なぜならお互いそれが似非正義感の充足と現世的商売、集金集客につながるからで、本来日本社会が育んできて受け継ぎ守るべき正義や道徳意識からのズレが社会の一事象のなかに見つかったら、その問題真因提起とともに時代に沿った変化も見据えつつ、より良い社会へと軌道修正してゆくのがマスコミが公器として与えられ求められている役割だが、今や手っ取り早く金稼ぎ活動の口実にするだけの乞食き商売に成り下がっているから、この界隈をうろつく輩たちはモラルもへったくれも必要ない状態なのだ。あるのはより先鋭的な扇情という現状では、日本人社会はひん曲がるだけだ。

日本人は生活環境によって必然的に社会の均衡化を求め大声を上げずとも自然に共同体意識を持ち続け、同胞と名乗らずとも暗黙の裡にそれを成し遂げる生活を続けてきた。民度はこのような生活を背景に国民に浸透してきたこれは世界でも特異といってもいいほどの美徳である。文句、問題化したい奴らはそれが憎いのだろう。だから貶める。それが彼らのレゾンデートルだとしたらなんと悲しい不幸な話だろうか。とはいっても全く同情はしない。なぜならそんな奴らは悲しみとも不幸とも感じず、日本と名のつくものすべてに対する声高で野放図な攻撃こそ生きる楽しみとしているからだ。こんな手合いをいつまでものさばらせてはいけないのだがいかんせん日本人はおりこうさんすぎるのが世界でも抜きんでているから利用されやすい。ここらで一気に優しい衣を脱ぎ捨てるのも、あまりに偏向グラフとなっている社会の軌道修正のために必要な一手かもしれない。