たらいまわしの

どんぶらこっと漂流中

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人徳という言葉が政治の世界からこれほど遠くに消え去ったのかと、今回の都知事選挙の顛末を見ていて実感する。とにかくご面相にゆとりがない。昔の佐藤首相は当時、世間マスコミ野党など反対思想勢力にさんざん批判されたそうだが、人相として比較すれば現在の政治家諸氏の誰よりも優れていたと思う。いま同じ時代の政治家諸氏を拝見すると順不同で大平氏、岸氏、三木氏、社会党では成田氏などもご立派で、本当に皮肉など抜きで私などは皆さんのような味わい深い人相にはなれそうもない。

残念ながら今回の立候補者に限らず、昨今の政治家全般にとにかく人としての包容力がないことが人相でもうかがい知れる。顔はその人の人間性が如実に表れるものだが、教条的で一方的な言動ばかりが跋扈し、まったく人として柔軟性がないのも人相と一致する。

そんなに焦っていい仕事ができるのかはなはだ疑問に思う。自身の非は決して認めない。もし非を犯しても部下や他者に転化することが習い性となっていることがバレバレ。それで首長になろうというのだからその行政下にある国民も部下も疲弊するしかない。もちろんいい仕事など成し遂げられようもない。なぜならどんな組織であってもそんな上司ならば、部下の最優先行動原理は批判を逃れるために内向きになること必定だからである。

どうせ人徳の対極に居座ったままの政治活動を野放しにしてお構いなしという社会なら、いっそAIが指示を行う立法や行政の方がまだましだ。ついでに司法も。論理的で感情によって左右されないし、投資効率や成果への数値的評価をもとにした立法・行政判断を下せるし、現在のAI技術からみてその判断の方が人品狭隘と感じる者が下したそれより、よほど信頼が置けるくらいの進歩を遂げているからだ。

政治家がその活動を通じて一国民、ひいては子々孫々に狭隘文化許容社会の存在を伝播してしまうことの罪の深さをすら知ろうとしないなら、もうあとは何も言うことはない。もし今後もその一辺倒の政治活動に埋没するだけなら、いっそ自己満足が作り出した空想の世界で自己肯定他者否定お経読経三昧生活をおくられることをお勧めする。そして決して表舞台には出てこないことこそが世のため人のため。それが今回の都知事選挙での感想だ。

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