VERSION: 02-03season ATLE
NAME: Zvonimir BOBAN (ズボニミール・ボバン)
TEAM: A.C.MILAN (ACミラン)
COUNTRY: CROATIA (クロアチア)
POSITION: MIDFIELDER (ミッドフィルダー)
UNIFORM NUMBER: 10
BIRTHDAY: 1968/10/08
T:183cm / W:79kg
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SKILL: ゾロ・ズボーネ
KP: チャンスメイク(O) (※レアあり)
[PLAY DATA]
プレイスタイル: ゲームメイカー
適正ポジション: OMF / SMF / CMF
シュート: A(精度S/威力A/速度A)
パス: SS(精度SS/創造性SS/速度A)
ドリブル: A(精度S/フィジカルB/速度B)
[個別パラメータ評価]
・オフェンス: 突出したボールキープ力に抜群の展開力を誇る。ダイレクトプレイのピースにはめ込むよりも、彼にボールを預けてゲームを作らせる方が輝きが増すが、戦術理解能力が高い為、カウンターなどの速い展開にも難なく適応する。
・ディフェンス: 広い範囲を追いかけるタイプではないが、与えられたタスクはきっちりこなす。戦術上の問題でミランではボランチとしての出場も多かったが、それを苦にしない読みの鋭さと戦術理解が確実にこの選手のプレーの幅を広げている。
・テクニック: かつて出回っていた裏パラでは19という数字に設定されていたようだが、これは初期シーズン仕様による過小評価と云わざるを得ない。実際はそのプレースタイルやポジションからジダンやピルロと比較される選手であり、その技術に疑いの余地はない。
・パワー: このタイプの選手としては珍しくパワー不足が目立つことはあまりない。体感的にはジェラードまでの強度はないが、ランパードやシャビ・アロンソ程度の強度はあると思っていい。
・スピード: プレースタイルに起因することもあるが、こちらも遅さにストレスを感じることは少ない。万能型のフォワードとしても前線に置けるレベルである。
・スタミナ: 基本的に中心になってボールを回して行く選手であり、多くのチャンスメイクを演出する為、スタミナの減りは早い。後半15分にはメモリが危うくなっていることも珍しくないので、スタミナの残量は常に気に掛けておくことが望ましい。
[総評]
クロアチアの英雄、ズボニミール・ボバン。
今やサッカー界のご意見番として、イタリアSKYで解説者の日々を過ごしているが、その言葉の切れ味は現役時代と変わらぬキレを見せ、共にクロアチア代表で活躍したアレン・ボクシッチの異名『暴走機関車』を奪うかのような毒舌マシンガントークが止まらない。
少し前に本田を(良い選手であると前置きした上で)「ミランのNO.10ではない。」とこき下ろしたのは記憶に新しいところではあるが、先日も「(黄金期の)グランデ・ミラン」ではベンチ入りすら難しいと断じた。
勿論、毒舌の対象になっているのは本田ばかりではない。ちょっと前にはユベントスのポグバに対して「将来を嘱望された選手であるが、ジダンのように振舞ったところで絶対なれないから、気取ったプレーなんかしてねーで、もっと現実的なプレーに終始するべきだ。」と酷評。
古巣ミランに対しては「選手が不十分。監督に明確な(戦術の)コンセプトがない。この程度の試合で満足しているとは本当に酷い惨状だ。」と試合後にインザーギとやりあった。
ボバンの歯に衣着せぬ発言は各方面に物議を醸しているが、ボナベントゥーラのように「時代が違う」と一概に断じてしまうことも少し乱暴であろう。
そもそもボバンが口にしていることは大体が良い所を評価した上で今後の課題であることが多く、その言葉には選手やチームに対して期待を含ませている部分が大きい。
更に云えば決して的外れなことを述べている訳でなく、何より過激な発言を口にするだけの功績をズボニミール・ボバンは残してきた。
分裂前の旧ユーゴスラビアに生まれ、祖国の名門ディナモ・ザグレブでプロデビューを果たし、19歳にしてキャプテンを任されるほどの天才だったボバンは、1991年に大きな期待を受けミランに加入。バーリへのレンタルでイタリア最初の1年を過ごすと、そこから2001年に退団するまで10年に渡って黄金期、そして暗黒期のミランを光に影に支え続けた。
本職はトップ下であるが、チーム事情によりレジスタ位置やサイドもこなす。恐らく人によってボバンのポジションは違う回答になる。それは10年に渡って在籍したミランで、このポジションのコンバートが数多く行われた為である。
そんな高い献身性は彼の高い愛国心にも見て取れる。
1990年5月13日にザグレブのスタディオン・マクシミールで開催されたディナモ・ザグレブ対レッドスター・ベオグラードの一戦、試合中に起こった暴動の際、警官隊に飛び蹴りを喰らわした。
これが何を以って愛国心に繋がるかと云えば、詳しい話は歴史の教科書か、もしくはマスターキートン(Reマスター)を読んで貰うとして、この行為によって、彼は”クロアチアの英雄"と呼ばれるようになる。
しかし、その代償は大きく、ボバンは9か月間の出場停止処分を受け、1990年6月から7月に掛けて行われたイタリアW杯本大会を棒に振る。
それがクロアチアを含む旧ユーゴスラビアが臨んだ最後のW杯であったということを考えれば(勿論当時はそれを知る由もないが)、いちサッカーファンとしては何と勿体無いことかと思ってしまう。
ストイコビッチ、プロシネチキ、サビチェビッチ、スシッチにシュケル、ボクシッチ・・・「ッチ」多いな。
どうでもいいネタであるが、昔フジテレビで放送されていたトリビアの泉という番組で、1998年フランスW杯(新)ユーゴスラビア代表(※1991年にスロベニア、クロアチアとマケドニアが、1992年にはボスニア・ヘルツェゴビナが同国から独立している為、ユーゴスラビアの名を残した実質ほぼセルビア・モンテネグロの代表チーム。対して旧ユーゴスラビアは現在の6つの共和国から成っていた。)の先発メンバーのうちGKを除く10人が「○○ビッチ」という名前だった試合が紹介されたことがあったが・・・まぁいいか。
因みに旧ユーゴ最後の監督は云わずと知れた名将イビチャ・オシムであった。
ユーゴスラビア紛争と呼ばれた当時の内戦は想像を絶するもので、後にボバンは「サッカーを戦争だという者は本当の戦争を知らない。」と語っている。
その後、クロアチア代表として、1996年のユーロでは8位、1998年フランスW杯では3位に母国を導く活躍を見せ、1999年に代表を引退。クラブシーンでは10年を過ごしたミラン退団後、2001-2002シーズンをスペインのセルタで過ごすが、シーズン途中で現役を引退。その後行われた引退試合には多くの国民が駆け付け別れを惜しんだ。
特殊実況は『バルカンの猛虎』、ビッグマッチプレイヤー有り。

