人によって考え方や感じ方、また思っていることや個人的な事情が違うから断定的なことは言えないけれど、また人と関わることが苦痛である人もいるけれど、

多くの場合、人間が喜びや充実感や感動の気持ちが生じる(覚える、感じる)のは、人との触れ合いのなかにある、或いは人が関わっているのではないだろうか?

 

僕の住むマンション、同じ階の長い横通路で誰かと出会ったら、

多くの場合、僕はこんにちはと言う、少なくとも会釈くらいはするんだけれど、

まるで気づいていないかのように、

目を合わすこともなく知らんふりで通り過ぎる人もいる。

またエレベーターの乗り降りの際、多くの場合は会釈くらいはするし、言葉を交わすこともあるけれど、

“一切かかわらないでくれ”的な強いオーラを飛ばす人もいる。

 

・・・と、そこから話は転じます。

最近は、いやもうずっと前から人との係わりをなくすようなシステムへの転化が少しづつ進んでいると思いませんか?

最近は、その傾向の速度が早くなっていると感じます。

 

それを進化と言うべきなのか、意図された退化と言うべきなのか、

人間は、ただ単に森羅万象のごく一部であるだけなのだが、人間は余計なことを考える生物だから、気づかずしておかしな方向へ向かっているかも知れない。

 

たとえば、どういうことかと言うと、

日常的な簡単な一つの例をあげると・・・

物を買うには、昔は小売店からで、売っている物ごとに店が違い、そこの店主や店員は、自らの売る品物について基本的には詳しい知識を持っていたから客は相談することもあった。

スーパーマーケットが普及したら、一カ所ですべてが揃って便利なので小売店に行く人がほとんどいなくなり、小売店のほとんどは消えていった。

スーパー利用者は自由に品物を選べるけれど詳しいことは素人だから分からない。

会計はレジに並ぶ。

レジ打ちは金額そのものの入力だから、経験値がものを言う。

その内に、レジ打ちではなく、バーコードをかざせばいいだけになり、レジ打ちが早いというスキルは不要になった。

さらに、バーコードをかざすだけなら、客が自分でやればいいとなって、今では多くのスーパーでセルフレジがメインになっている。

つまり、客は、スーパーという建物に入り品物を選び、自分で会計を済ませて帰っていくわけで、その間、自分で求めない限り人との接触がまるでない。

 

もう一つ、日常的な簡単な例・・・飲食店

現在では、入店から退店まで、人との接触がゼロの場合があり得る。

あ、入店時、席を案内される場合だけは、従業員との会話はあるね。

席に着く、タブレットで食べたいものを探して入力すると「ご注文を承りました」と画面に表示、しばらくするとロボットが注文したものを持ってくる、自分で取ってテーブルへ。

食べ終わり会計ボタンを押すと、請求書が出てくる。

或いは注文品をロボットが持ってくるとき、請求書も一緒に持ってくるかも。

帰る際に、機械に請求書を入れて、請求金額を入れて終了。

従業員の姿は見えない場合もあるし、「見張り」の人がさりげなくいる場合もある。

 

・・・というように、どんどん人との係わりがなくなっている。

学校の勉強もタブレットを使う、仕事もテレワークが増えてきた。

一人暮らしの人は、一日中、人との会話がない場合もある。

ラインでの会話はあるかも知れないけれど、これはリアルの会話ではない。

 

上で、人は人との関わりの中で、喜びや充実感を覚えることが多いと書いたが、

それだけではなく、人との関わりの中で自分の位置づけを考えたり、

その他、学べることはたくさんあるのだが、今はその機会がどんどん減ってきている。

便利になったと思いますか?

 

その結果、今は子どもも大人も、人との関わり方が下手になってしまい、

ちょっとした行き違いから激高して犯罪になってしまったり、絶望してしまったり・・・

 

こんな状況が続けば、近未来には、家に閉じこもっていても学校の勉強も可、仕事も可、

その他日常生活も可、誰ともつきあいなくとも可、恋愛の仕方も分らなくなって結婚する人もいなくなり少子化どころの話ではなくなる・・・なーんて大げさかな?

 

今だけ金だけ自分だけの利権まみれの政治家連中は、上のようなこと考えたことないんじゃないかな・・・

どっかから切り取るような少子化対策でお茶濁しておけば、あとは誰かがなんとかするだろうってかな。