昨日の当ブログ
『65年前の稚拙な調査・実験から始まった原発、今も変わらず出たとこ勝負』
これに載せた約60年前の動画ですが、見れば見るほど馬鹿馬鹿しくなります。
あらためて、再度、載せます(昨日見た方はすみません)。
茨城県映画「東海村・・・第一部」(1956年制作)
https://www.youtube.com/watch?v=U49jIHG2mFg
(1分10秒あたりから1分30秒近くまで文字起こし)
海に面しているので、放射能を含む汚染水処理にも非常に好都合であります。
(3分00秒あたりから3分40秒あたりまで文字起こし)
中央気象台により気象予備調査が行われます。
まずは松林の中で発煙筒を焚いて、気流の状況を調べます。
これは、将来に汚染された空気を無害にするための煙突の高さを決定するための重要な資料となるものであります。
パイロット観測は、直径80cmの気球を打上げ、その気球の移動を1分ごとにカメラに収めて、地上500mまでの風向きや風速を調べるものであります。
茨城県映画「東海村・・・第二部」(1958年制作)
https://www.youtube.com/watch?v=9nwozhT1CoQ
(11分20秒あたりから13分くらいまで文字起こし)
海岸線から500mの沖合いで、海流調査が行われました。
これは、原子炉から出る放射性廃棄物を海に捨てる時のパイプの位置を決めるもの
であります。
目標地点に浮きをつけた旗が投げ込まれます。
この地点を基点として、赤い染料を水に溶かして、ゴムホースで海水に流し込みます。
青い海に流し込まれた赤い染料は、潮の流れに従って次第に広がっていき、時間を決めて、これを調べ、付近の海流を調査します。
沿岸の住民や漁民に与える放射能の危険の一番少ないところへパイプが引かれます。
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幼稚極まりない調査、実験、
放射能の怖さ・影響など微塵も考えていないようなくだらなさなのだが、
それらの調査・実験があたかもすごいことのように、
またそれが非常に妥当なことであるかの如くに語られている。
60年から65年前の日本って、これほど低レベルな?無知な?後進国だったのかね!
まさかね、そんなことはないと思う。
(1949年には湯川秀樹氏が、1965年には朝永振一郎氏がノーベル賞を受賞しているが、ともに物理学賞)
要は、
「あとのことはあとで考えればいいのだ!金になるならやったれ、やってしまえ!」、
既得権は早い者勝ちのノリで始まったとしか思えない。
このいいかげんさ、現在だって変わらない。
“事故が起きれば終息はない”
また、
“数ある原発の高レベル放射性廃棄物の捨場は未来にお任せ”
・・・とまでは言っていないが捨場がないのが現実。
この最初からの無責任が延々と続く現実、
これほどの無責任があるだろうか!