僕は、ここでのブログにおいて政治的なことを書くつもりはなかった、初めはね。

 

僕が、ここでブログを始めたのは2011年12月、

安倍が総理大臣になったのは1年後の2012年12月、もう7年を超えています。

書くつもりはなかったのだが、その1年後くらいから安倍のあまりのひどさに呆れるようになり、政治的な記事を書くようになった。

途中から「政治」というテーマを設け、さらに「安倍晋三」というテーマも設けた。

安倍の何が“ひどい”のか、一言では言い表せないのだが、

あえて言うならば、「一般国民のことなど二の次三の次の国の代表」だ。

興味と時間がある方は、

特には、テーマ「安倍晋三」の記事を読んで頂ければと思います。

 

今後、現在のことのみならず、

過去のことも振り返りいろいろ書いていこうと思っています。
 

前置きがながくなってしまいすみません。

まず今回は、「1億総活躍」というくだらない標語の話から・・・

 

2015年12月10日のブログに以下を書いていた。


一億総活躍
この言葉を目にする、耳にするたびに、

”諸々の馬鹿らし感”と”うんざり感”でいっぱいになる…と。


若い人は、知らない人も多いかも知れないけれど、
これまで使われてきた「一億総」がついた語句は、

すべてが「個」ではなく「全体」を示し、
しかも、それらの語句は、国民に「強いる」ものばかりだ。


安倍総理大臣が、まさか、それらを知らなかったはずがない。

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・一億総玉砕
・一億総火の玉

・一億総懺悔
・一億総特攻
・進め一億火の玉だ


どれも、全体主義的強制を無理強いする言葉だ。
さらには、ここには「欲しがりません、勝つまでは」なんて言葉が追い打ちをかけた。


そして、あきらめ感や自嘲感のある言葉もある。
・一億総白痴
・一億総中流
 

要するに、1億総なんじゃらなんて言葉には、ろくでもないものしかない!

それを、これから向かうべき方向の政治のスローガンに使用する総理大臣。
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この人の頭の中の「美しい日本」とは、全体主義の滅私奉公的な国であることは、

このような政治スローガンにも表れているし、それは自民党憲法改正草案と一致している。

当然と言えば当然ではあるが・・・

自民党憲法改正草案
第12条(国民の責務)

この憲法が国民に保障する自由及び 権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

※自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し
※公益及び公の秩序に反するとは具体的にどういうことか?

現憲法12条

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。 

 

※現憲法には、「責任及び義務が伴う」「公益及び公の秩序」という文言はない。